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古墳の世界でいにしえのロマンを感じる

埼玉県行田市にある「埼玉(さきたま)古墳公園」に行って来ました。台地の上にある公園内には5世紀後半から7世紀初め頃までに作られた大型の前方後円墳8基と円墳1基を中心とする全国有数の古墳群があり、令和2年に国の特別史跡に指定されました。かつては大型古墳の周りに小型の古墳が複数ありましたが、昭和初期に周囲の沼地が干拓された際に取り壊されたそうです。なお、この場所は行田市埼玉(さきたま)という地名で、埼玉県の名称発祥の地と言われています。「さきたま」が「さいたま」となったようです。

埼玉県名称発祥の地の碑

発掘調査では土器や埴輪、石器や鉄製品など多数の副葬品が見つかっており、公園内にはそれらを展示する「県立さきたま史跡の博物館」やはにわ作りが体験できる「はにわの館」などがあります。


公園案内図


丸墓山古墳(まるはかやまこふん)

日本最大級の円墳で、墳丘径105メートル、墳丘高17.2メートルあります。豊臣秀吉が天下統一を進める1590に家臣の石田三成が忍城を水攻めにする際に、忍城がよく見えるこの頂上に陣を張ったと言われています。登ってみると確かに周囲がよく見渡せました。

墳丘への階段
90段以上あります
墳丘の上
忍城周辺が一望できます
丸墓山古墳の上から見た行田市街。
中央少し右に忍城(復元されたもの)が見えます。


稲荷山古墳

墳丘の長さが120メートルの前方後円墳で、昭和43年の発掘調査の際に「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」など多くの副葬品が出土しました。それらは昭和58年に一括して国宝に指定され、県立さきたま史跡の博物館の国宝展示室に展示されています。

稲荷山古墳全景
丸墓山古墳の上から見た稲荷山古墳
方部と円部の境のくびれ部分
出土品の説明版


将軍山古墳

全長90メートルの前方後円墳で、明治27年に後円部より横穴式石室が発見され、武器、馬具、銅鋺(どうわん)などが多数出土しました。石室の内部が見学できる展示館があり、埋葬の様子などがよくわかります。

将軍山古墳遠景
同上
古墳の周囲に並ぶのは埴輪(模造品)
横穴式石室が見学できる展示館の入り口
石室内部の埋葬の様子
同上

二子山古墳

墳丘の長さ132.2メートルの前方後円墳で、武蔵国で最大の規模を誇ります。6世紀前半頃に造られました。

古墳公園のホームページ


八幡山古墳(石室)


古墳公園から車で数分のところに「八幡山古墳石室」があります。昭和9年(1934)に、約2キロ東の沼の干拓事業で古墳の土を崩していた際に偶然石室が現れ、調査の結果から7世紀前半に造られた直径約80メートルの大型の円墳と推定されました。石室は南を正面し、前・中・後室の3つの部屋からなる全長16.7メートルの巨大な造りです。各室とも秩父地方から運搬された巨大な緑泥片岩(りょくでいへんがん)と安山岩で築造されています。

奈良県明日香村の石舞台古墳に匹敵する石室であることから、「関東の石舞台」とも呼ばれていますが、私には石舞台古墳より大きいように思えました。


反対側から見たところ
造営に携わった当時の人たちの様子が想像されます。
訪れた日はあいにく石室内部は見学できませんでした。
入り口の隙間から写真を撮りましたがよく見えませんでした。


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