高齢者が抱える悩み:久坂部羊『人はどう悩むのか』より
人生100年時代、長生きすれば様々な困難に出会います。
私も身体の衰えや、記憶力の低下、この先の生活への不安など、悩みとまでは言えないまでも、心配なことはあります。「そんなこと心配したってしょうがない」と言う人は多いです。私もそう思うようにしていますが、達観するには至りません。
そんな中、興味深い本に出会いました。医師であり小説家でもある久坂部羊氏の『人はどう悩むのか』(講談社新書))という本です。
久坂部氏は、生まれてから死ぬまでに人間が抱える悩みのありようを事前に理解することで、実体のない悩みを少しは抑えられると考え、各ライフステージに潜む悩みを分析しています。そして通常は乳幼児期から始める記述を、この本では高齢者から逆順にたどって解説しています。高齢者の部分は今の私にも当てはまることなので興味深く読みました。ここでは高齢者について書かれていることをまとめます。
【高齢者のうつ】
高齢者のうつが増えているという。高齢になると不愉快に感じることが多くなり、忍耐力も衰え、将来の希望も持ちにくくなるからだ。年をとると心身の機能も衰え、それまでできていたことができなくなる。視力、聴力、筋力、性機能、反射力などの低下によって楽しみが減る。活動力も落ちて不自由と不如意が増えてくる。脳の働きも衰え、記憶力、判断力、順応力、集中力、持続力、忍耐力と「低下」のオンパレードになる。退職して社会的役割が低下し、人から注目されることが減ったり、年寄り扱いされたりすることを不愉快に思う人もいる。さらに、病気の心配、寝たきりの不安、家族との別れ、忍び寄る孤独、死への恐怖もある。
これらはだれにでも起こりうることだ。だが、ありえない不幸に見舞われたように感じてうつ状態に陥る高齢者は少なくない。その状態を改善するにはどうすればよいか。身体を鍛え、機能的かを防ぐための努力をするのでない。「精神の健康」を保つことだと久坂部氏は言う。身体が衰えるのは致し方ないが、精神的に満たされていれば幸せを感じることができるからだ。
うつ病発症のきっかけとして以下が挙げられている
・退職して仕事がなくなる
・配偶者の死
・同世代の知人や友人の死
・麻痺や不自由を伴う病気
・身体機能の低下
・環境の変化
・些細な失敗や不如意
・その他(熟年離婚、家庭内別居、仮面夫婦。家族や知人との諍い、家族の介護や看病、引きこもり、失職、自分に対する失望など)
これらは若い人にもあるが、若いゆえに乗り越えられることは多い。しかし克服力が低下する高齢者はそれが困難なことが多く、くよくよ考えているうちにうつにつながる危険が大きい、それゆえうつのサインを見逃さず適切に対処することが大事だ。また、「年を取ったらこんなもん」と現状を受け入れることも必要で、そのためにはあらかじめ心の準備をしておくことが大事だ。「欲張らず。執着せず。ありのままを受け入れる」ことである。
【うつだけではない高齢者の悩み】
精神医学では65歳以上の老年期には、①身体機能の喪失、②社会的・経済的損失、③性格の変化という3つの喪失体験が問題になる。
身体機能の喪失には、老眼など目の機能の低下、聴力の低下、歯の脱落、嚥下機能の低下、嚥下機能の低下、筋力の低下や性機能の低下、免疫機能の低下などがある。また、免疫機能の低下で病気になりやすく、呼吸機能や心機能の低下で息切れや動機が起こり、脳機能の低下で物忘れや勘違い、思考渋滞などが起こる。
社会的・経済的損失は、退職や引退による社会的地位の喪失、家庭での立場の変化、収入の喪失のほか、配偶者や友人との死別、子どもや孫の独立による離別などがある。些細なことから人との関係が悪化して疎遠になることや、施設入所や子ども世代との同居などによる環境の変化などがストレスになることもあり、独り暮らしで引きこもりの状態になったり自宅がゴミ屋敷になったりすることもある。仕事を辞めて自由になると時間的な余裕は増えるが、経済的、体力的余裕がなくなり、せっかくの自由時間がうまく使えないようになりがちである。
性格の変化では、キレやすくなったり、少しの我慢もできなくなったりする。意欲の減退、趣味の喪失、関心の低下などで活動性が落ち、逆に心配や不安が増大して消極的、怠惰、面倒ぐさがりの傾向が強まる。
こうした老いの喪失体験に伴って生じる高齢者の悩みとして久坂部氏は以下を取り上げ、臨床体験で得た事例を交えて解説している
*老いを認めない悩み
「自分はまだ若い」「若い者には負けない」「70歳はまだ青春」などと思っている高齢者は少なくない。だが、いずれは老いとの苦しい闘いを強いられることになる。若い頃から節制をして、健康に気を付けて努力してきた人ほど老いを受け入れにくいようだ。でも、自然な老化は認めた方が楽になる。
*したいことができない悩み
久坂部氏のお母さんは93歳で亡くなる4日前まで一人暮らしをしていたという。だが、身体が弱ってやりたいことができなくなることを嘆いていたそうだ。赤ん坊は成長するに伴いできることが増えていくが、高齢者は反対に老化に伴ってできることが減っていく。成長も老化も時の流れなのだからそういうものだと思わないと情けない思いにさいなまれることになる。
*周囲に迷惑をかけたくない悩み
高齢になって家族や知人に迷惑をかけたくないと思っている高齢者は多い。久坂部氏はそれは「欲望」だと言う。「欲望」と言うと反論されるが、言葉が悪ければ「自分の都合」と言ってもよい。そしてそれが叶えられないと苦しむのだ。欲望というのは叶えられないことが多いと認識するのがよい。
*リハビリの悩み
怪我や病気で低下した機能を回復させるためのリハビリは大切だが、元通りにならないことも多い。ゴールの設定を高くしたばかりに思い通りにならず、「こんなに頑張っているのに」と悩む人もいる。ゴールが達成できなくても「やるだけやったのだからしかたがない」と受け入れた方が心安らかでいられる。
*完全主義者の悩み
久坂部氏が在宅で診療していた女性の夫は完璧主義者で、自身も癌の手術を受けた身でありながら、無理をしてパーキンソン病の妻を24時間献身的に介護していた。妻は悪化の一途をたどっていたが夫は妻を施設に入れることには同意せず、最後まで自分が面倒を見ると言い張った。やがて夫には介護疲れが見えるようになり、むくみも出て、注射を打ちながら頑張り続けた。見ていて痛々しく感じた。
*プライドがもたらす悩み
高齢者にとって排泄は大きな問題だ。排泄がうまくできず悩んだり、プライドが傷ついたりする高齢者は少なくない。食事や入浴でも下手に手伝うと「自分でできる」と怒る人もいる。「おばあちゃん」や「おじいちゃん」と呼ばれて憤慨する人や、「年寄り扱いするな」と憤る人もいる。不必要なプライドは捨てた方が楽だ。
*世の中の変化に対する悩み
高齢者は長く生きてきただけに世の中の変化に直面して戸惑う。自分が育った時代とは異なり、世間から「不適切」とされることも多い。自分では気づかないところでハラスメントと取られたり、戸惑うことも少なくない。世の中の変化について行けず悩む高齢者は多いが、世の中の動きに合わせるしかないと思うことも必要だ。
*敬老精神の衰退に対する悩み
昔は若い人が高齢者を敬うのは当たり前だったが、今はそうとは限らず、高齢だからと言って尊敬されるわけではない。過去の経験が役に立たないことも多く、時代遅れ、的外れと捉えられて若者に相手にされないこともある。特に「暴走老人」などキレやすい老人は敬遠される。高齢者は敬われるものだと思わず、敬ってもらいたいならば自分が尊敬する人間にならなければいけない。
*不安と疑心暗鬼がもたらす悩み
自分は家族の負担になっているのではないか、迷惑に思われているのではないか、家族から嫌われているのではないか、悪口を言われているのではないかと悩む高齢者がいる。認知症を疑われているのではないか、早く死ねと思われているのではないかなど、心配し出せばきりがない。疑心暗鬼が妄想の域に達すると、預金を勝手に下ろされているのではないか、無理やり施設に入れられのではない、食事に毒が混ぜられているのではないと被害妄想が拡がる。
病気の不安も悪い方へと気持ちが向かう。長生きすればするほど自分の死が近づいてくるのを感じて不安になる。不安は疑心暗鬼を生み、さらに不安になる。悪循環に陥ることになる。
*配偶者に先立たれる悩み
飛行機事故などで同時に命を落とす以外、夫婦は必ずどちらかが先に死ね。二人の関係が良好であればあるほど、残された方は深い喪失の悲しみに陥る。悲しみだけでなく実生活の面でも相手にやってもらっていたことを自分がやらなければならなくなり、困ることが生じる。
配偶者に先立たれることは夫婦にとって打撃となる可能性が高い。だから対策をたてておくのがよい。あらかじめ一人残されることをイメージして、心を強くしておくことが必要だ。
*長生きし過ぎる悩み
長生きは良いこととは限らない。久坂部氏が診ていた高齢者の中には病気で死ねなかったことを残念に思う人や「まだ死ねませんか」と言う人がいたそうだ。また、「生きていてもしょうがない」と言う人や、長生きし過ぎたと悩む人もいる。そんな人たちに安易な励ましや慰めは通用しない。長生きし過ぎて苦しんでいる高齢者を前にして、薄っぺらな生命絶対尊重や長寿礼賛をすることには疑問を感じると久坂部氏は言う。
*自殺に至る悩み
厚生省のデータでは2023年の自殺者21,837人のうち60歳以上は8069人で、全体の37パーセントを占めている。理由は健康問題と家庭問題が多いようだが、周囲に人がいない場合は特に危険である。生きたいという気持ちは
あるが、生きるか死ぬか迷う中で、次第に絶望を深め、死ぬしかない、死んだ方がましだという考え取り憑かれる。
自殺はあってはならないと思いながら、高齢者が抱えるつらさを解消できないまま、良識を縦に「死ぬな」と言うことがはたして正しいのだろうか。高齢者が自殺すれば遺族は深い悲しみに陥るだろうが、逆に生きていてくれれば嬉しいというのは、長生きし過ぎたことで心身共に耐え難い苦しみを味わっている高齢者本人の気持ちを顧みない家族のエゴではないだろうかと久坂部氏は疑問を投げかけている。
【本書を読んで】
老化は普遍的ですが、個人差があります。本書に書かれていることすべてがだれにでも当てはまるわけではありません。人によっては共感できないこともあるでしょう。久坂部氏もそのことは十分に理解しており、言葉を選んで記述しているのがわかります。
自分は大丈夫と思いがちですが、老化を免れる人はいません。私も老化を感じますが、どこかに「まだ大丈夫」「もう少し先だ」と思っている自分を感じます。本書に書かれていることがいくつも当てはまり、もはや他人事ではないことを改めて認識しました。
久坂部氏は、「『いつまでも元気で若々しく』とか「『人生まだまだ自分らしく』などという”きれいごと情報”の氾濫が人々の欲望を刺激し、老いの現実を受け入れにくくしている」と言います。「そんな絵空事に心を奪われていると、いずれ厳しいい現実に直面してせっかくの長生きが悔いと嘆きの日々になりかねない」(pp.4-5)とも言っています。老いを受け入れることが大事だと感じます。
ここでは高齢者の悩みについてまとめましたが、同書では他にも、中高年の悩み、大人になってからの悩み、青年期の悩み、思春期の悩み、学童期の悩み、そして幼児期や乳児期の悩みについても記述されています、「乳児や幼児にも悩みがあるの?」と驚きましたが、油断できない悩みだと久坂部氏は書いています。
だれもが悩みから逃れることはできません。だったら、悩みのありようを知り、うまく対処しながら生きていくのが賢明だと思います。そのためのヒントがもらえる本です。