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お寺の鐘楼と戦争
珍しい鐘楼を見ました。鐘が金属ではなく石です。長野県の北部、信濃町にある称名寺というお寺にその鐘楼はありました。大きな石が吊るされている光景は異様に感じました。でも、そこには理由がありました。
太平洋戦争中、鉄砲や弾などの武器生産に必要な金属資源が不足してきたため、昭和16年に金属回収令が公布され、生活の中で使われていおた金属類はすべて回収されました。称名寺の梵鐘も昭和17年に供出させられ、戦地に送られました。
そのため門信徒はお寺の近くにあった石をそこに吊るしました。石には「梵鐘記念昭和十七年十月」と刻銘されています。
戦後、門信徒たちは金属の鐘に戻すようお寺に頼みましたがが、当時の住職が「戦争の悲惨さ、愚かさの証」として残すことを決めたそうです。
梵鐘の供出は他にも全国のお寺で行われ、こうした「代替梵鐘」も多くのお寺で見られたようですが、戦争が終わると共に降ろされて「戦争遺産」として別の場所に保存されることが多いそうです。でも称名寺では世界から戦争がなくなるまで吊るし続けるという思いから、そのまま設置し続けてきました。
称名寺は住職が高齢となり別の場所に移ったため現在はだれもいません。廃寺となったお寺の境内に「石の鐘」だけがひっそりと佇んでいました。
称名寺の門。草が茂り、石段には落ち葉が敷きつめられていて、人の歩いた様子がありません。
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鐘楼には大きな石が吊り下げられています。
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本堂もひっそりとしています。
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軒先に大きなスズメバチの巣がありました。
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道路から見たお寺の様子
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周辺の景色
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(2024年9月3日撮影)
草木に埋もれた境内を見ながら、「石の鐘」に込められた人々の思いが次第に忘れ去られていくのではないかという危惧を抱きました。この世から一日にも早く戦争がなくなり、「石の鐘」が降ろされることを切に願います。