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調査される側の迷惑:フィールドワークで必要なこと

『忘れられた日本人』で知られる民俗学研究者の宮本常一さん(1907-1981)は生涯にわたって日本各地でフィールドワークを行い、貴重な資料を数多く残しました。調査の手法は自らの足で各地を歩き回り、現地に入り込んで人々の話を聞くことです。研究者としてこれほど多く場所を歩いた人はいないだろうと言われています。

最近、宮本さんが書かれた「調査地被害ーされる側のさまざまな迷惑」という文章を読みました。「迷惑」という言葉に興味を覚えたからです。私自身もフィールドワークを行うことが多いですが、知らず知らずのうちに「迷惑」をかけていたのではないかと思ったのです。読み進めるうちに自分に思い当たることもあり、考えさせられました。

宮本さんの文章は1972年に書かれたものですが、私はこれを宮本さんと親交のあった安渓遊地さんが出版された『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』(みずのわ出版)で読みました。安渓さんは京都大学出身の人類学研究者で西表島や熱帯アフリカを中心にフィールドワークを行ってこられた方です。

以下、宮本さんの文章で心に残った部分を抜粋しながら私個人の感想を記していきます。

フィールドワーカーの心がけ

初めに宮本さんは恩師のことを以下のように書かれています。

私は、渋沢敬三と言う優れた知識人の指導をうけてフィールドワーカーになったため、この先駆者の言動を出来るだけ忠実に守って今日にいたっている。かつて渋沢先生が私をいましめていわれたことばが三つあった。その一つは他人に迷惑をかけないこと。第二は出しゃばらないこと、すなわちその場で、自分を必要としなくなった時は、そこにいることを周囲の人に意識させないほどにしているということである。そして第三に他人の喜びを心から喜び合えること、というのがそれであった。  (原文のママ)

「調査地被害ーされる側のさまざまな迷惑」より(以下同じ)

調査にあたっては人に迷惑をかけない。これは私も常に心掛けてきました。でも実際にはたくさん迷惑をかけてきたような気がします。相手が私を咎めなかっただけで、迷惑に思われていたかもしれません。出しゃばらない、喜びを他人と分かち合うこともはたしてできていたか自信がありません。

人文科学が訊問科学に

調査者は、それぞれテーマを持って調査をするのは当然であるが、しかし相手を自分の方に向かせようとすることのみ懸命にならないで、相手の立場に立っても物を見、そして考えるべきではないかと思う。

根掘り葉掘り聞くのはよい。だが何のために調べるのか、なぜそこが調べられるのか、調べた結果がどうなるのかは一切わからない。大勢でどやどやとやって来て、村の道をわが物顔に歩き、無遠慮にものをたずねる。「そんなことを調べて何にするのだ」と聞いても「学問のためだ」というような答えだけがかえって来る。

同じようなことを、何回も聞かれるとウンザリするだろう。そしてしまいには、そのことで答えが用意されるようになる。  

旅行者はまるで判で押したような質問をし、答える方もチャンと答案が決まってしまっているようである。 

多くの調査者、ジャーナリストたちの訪れる村には、おのずから旅人の質問に対する答えが用意されるようになる。そしてそのなかには、制作されたものもある。

調査の際に調査者があれこれと掘り下げて聞くことがあります。細かく聞くことは必要ですが、何のために調べるのか、なぜそれを調べるのか、調べた結果がどうなるのかを知らせずに聞くことが少なくないようです。私もきちんと説明せずに一方的に聞くことがありました。反省しています。

学術調査をする者はされる者より偉いという感覚がどこかにあると宮本さんは言います。官僚意識はすべての人の中にひそんでいるとも言います。調査する者はそれぞれテーマを持って調査を行ますが、目的や意義を調査対象者にわかりやすく説明することは大事でしょう。被調査者が調査の目的を理解していなければ効果を上げることはできません。ある調査で質問され続けた人が答えられなくなっているのに「こうだろう、ああだろう」としつこく聞く調査者がいるのを見て「あれでは人文科学ではなく訊問科学だ」と言った人がいたそうです。


偏見理論がもたらすもの

調査者の主観や偏見が、時には被調査者の生活に被害をもたらす場合も起こってくる。

宮本さんが長崎県五島のある島に渡ったとき、島の古老がどうしても話をしてくれないことがあったそうです。小さくて貧しいその島は一種の共和制の島で、島民に不平等が起こらないようあらゆる注意が払われているのですが、かつて取材に訪れた放送記者がそのことをきちんと理解せず、「時代から取り残された封建制の強い島」として放送し、古老が話した意図とは異なる放送内容になってしまいました。それによって人を疑うことを知らない島の人を疑い深くさせてしまったと古老は嘆きます。記者の偏見が島の人を傷つけたのです。古老は自分の返答によって村人をさらに傷つけることを危惧して宮本さんの質問に答えるのをためらったようです。

私もテレビのドキュメンタリー番組をよく見ますが、時折り首を傾げたくなるような場面に出くわします。ナレーションが恣意的であったり、取材する側の意図に沿うような発言を求めたりしているように感じることがあります。また、数ある回答の中から意図的に回答を選んで伝えているように思えることもあります。「やらせ」ではないかと感じることも少なくありません。宮本さんの言われる「偏見理論」がもたらすものに注意が必要だと感じます。

「調査してやる」という意識

目的が多岐にわたり、その調査に経済的な利害まで付きまとうことになると、地元との深い結びつきによってなされる調査は、ずっと少なくなってくる。そしてそのような調査には、ほとんどお返しがない。

調査では地元との深い結びつきが必要ですが、経済的な利害が絡むとそれがやりにくくなり、さらに地元への感謝や「お返し」という気持ちも薄くなります。ことに官庁関係の調査の場合は、地元の町村役場や教育委員会が直接世話をしてくれることがい多いため、「役場が言ってきたのだから」といって村人も協力することが多いですが、調査者は知りたいことだけ聞いたら、それでサヨナラという例が少なくないと言います。ひどい場合は地元に調査費を要求することもあるそうです。地元が要請したわけでもないのに勝手に調査地を選定し、地元に調査費を出せと言うそうで、「調査してやる」という意識がそこには見られると宮本さんは言います。

調査の目的はいろいろあるにせよ、地元の人たちの立場に立ち、地元の人たちのことを第一に考えて行う調査を行うことがとても大事だと思います。

略奪調査の実態

大正時代に、広島高等師範学校に海賊史を研究している先生がいた。この人は歴史学者のフィールドワークが珍しい頃に、実によく方々をあるいていた。そして至る所で、すぐれた資料を見つけると借りて持って行った。その際には、決して借用書を書いてゆ(原文のママ)かなかったそうである。そしてそれが再び返ってきた例はほとんどなった。

調査に際し、地元の人との約束を破ったり、借りたものを返さなかったりすることもあるようです。古文書などを借用書を書かずに借り出し、そのまま返さないこともあると言います。多くが大学の先生で、自分では読めない古文書を読めるようにして返してあげると言われ貸し出したものも。結局所有者の元に戻ることはないことも少なくないそうです。

植物や鉱物、天然記念物に指定されたようなものまでなくなることもあるようで、道端のお地蔵様や石塔婆、民具なども盗まれることがあったようです。

宮本さんの文章は50年近く前の状況を記したものです。現在はルールも存在し、かつてのような状態ではないと思いますし、目に余る行為も減っていると期待するのですが、実際のところは私にもよく分かりません。同書には宮本さんの文章とともに、著者である安渓さん自身の体験も綴られています。以下は、安渓さんが地元の調査協力者から聞き取った話で印象に残ったものですが、そこからは現在の状況を少なからず窺い知ることができます(発表されたのは1990年代)。

ある大学教員を案内して老人の家に出かけ、話を聞かせてほしいと頼んだところ、老人は竹かごを編む仕事をしており、翌日までに終えなければいけないから翌日いらっしゃいと言ったのですが、大学教員は「はいはい」と言いながらつかつかと家の中に入り込み、床の間の額の写真を勝手に撮り始めたそうです。老人は怒り出し、協力者も腹が立ったと言います。

また、国の研究費で調査を行う大学教員が、老人をひとところに集めて長時間聞き取り調査をしたいと若い教員を通じて依頼してきたことがあった際に、協力者はそのような調査は適切ではないと判断し断ったところ、町長から「知事部局から話をまとめてほしいという依頼があった」と言われたそうで、断ると町長の立場も若い教員の立場も悪くなると思いやむなく引き受けたと言います。知事の力を使って調査しようという意図がそこには見えます。

加えて、その調査は大勢のお年寄りを朝の8時から夕方の6時まで体育館に缶詰にして行われ、配慮に欠けるものであったことが協力者の以下の証言からわかります。

ばあちゃんが、方言の単語を聞かれて、緊張もしているし、すぐには出てこないので、「うちの小さい時は」と話し始めた。年寄りが自分の心を整理しながら話すわけよ。そしてたら「あなたの小さい時のことは良いから、このことはなんていうんですか?」って。

『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』より
(以下同じ)

これこれの調査に来ました、と立派な肩書きの名刺を出されえるわね。自己紹介することも大事でしょうけど、何とか研究所の調査っていっても、そもそも何とか研究所を知らないし、その調査がいったい何になるのか島の人間がわかるように前もって言ってもらわないと・・・ 学問的過ぎて島の人間には説明しきれないこともあるかもしれない。納得いかないのに協力せえ、と言われても、それは無理よ。

島の人間は、特にお年寄りというものは、あらたまって話すことに慣れていないでしょ。標準語で話すことにも慣れていないわね。そして、テープレコーダーなんかの機械にも慣れていない。だから その辺のことをよく考えて付き合ってほしい。少なくとも、前の日から心の準備ができるような形でゆとりを持ってやってくれないと困る。

お年寄りと言うのは、聞かれたとき、聞かれたことだけでなく、自分の感想、気持ちを付け加えていくというのは必ずつきものなわけよね。その時に、「ああ、そうですか、ばあちゃん痛かったでしよ!」とそういう風にあいづちうって、人としての心を持って聞いてくれるといいんだけれど。実際には、そうじゃなくて「いや、それはどうでもいいので、質問に答えなさい」というようなものの言い方をする人がいる。これは大きな問題。話し手の心のあらわれの言葉というものをちゃんと聞いてほしい。そしてうまくしゃべれるようにしてほしい。こういう点への配慮がない研究者がいるのは本当に困りもの。 

調査する地域がどのようなところか、調査対象者がどのような人かを理解し、相手に合わせた調査を行うことが重要であることを強く感じます。さらに、協力してもらった人に成果を報告することも大事でしょう。礼状は言うまでもなく、どのような研究結果が得られたのかを知らせることは礼儀としても必要なことだと思います。その際には単に報告書を送るだけでなく受け取る人への配慮も大切であることが協力者の言葉からわかります。高齢者の場合は出来上がった資料を「はい、できあがりました。お送りします」というだけでは不十分で寂しい。「あなたに聞いた話は、こういうふうにデータとしてまとまりました。これにはこういう大事な意味があるんですよ。ご協力ありがとうございました」という形が必要だと言います。

学校においても大学院に派遣された教員からアンケートの依頼を受けることがあります。「時間は取らせません」と言いながら記述式の回答がたくさん設定されていて回答にかなりの時間を費やすこともあります。現場の教員にとって負担になるようなアンケートを安易に依頼することにも疑問を感じますが、さらにアンケートがどのように活用され、どのような結果が得られたのかまで報告されることは少ないようです。

私自身も研究の道に進んでからずっとフィールドワークを続け、数えきれないほどの人にお世話になってきました。この本を読んで改めて調査のあり方について考えさせられました。


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