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わが家にホームステイした外国人3
ホストファミリーとして受け入れた外国人ゲストについて書いています。ゲストの名前は仮名です。
出会いはどこにでもある
ニセコで知り合ったオーストラリア人夫妻がステイしました。北海道が外国人ブームとなり始めた2005年、札幌で行われた研究会で私は倶知安町の職員の方からニセコの変容についてお話を伺いました。外国人観光客が増え、町が大きく変わってきているという話にとても興味を持ちました。そして実際に自分の目で確かめたいと思い、スキーを兼ねて夫と共にニセコを訪れました。
当時は今ほどではありませんでしたが、それでも現地には外国人、特にオーストラリア人の姿がたくさん見られ、英語の表示が溢れていました。利用したペンションにも外国人がたくさん泊まっていました。その中でメルボルンから来ていたグループと親しくなり、いっしょにスキーをしたり食事をしたりしました。彼らはその後も毎年のように来て、長期で滞在していましたので。私たちもそれに合わせて行くようになりました。
とにかくフレンドリーで陽気な人たちです。ワインを飲みながら毎日わいわい大騒ぎでした。交流はずっと続き、私たちもメルボルンを訪れ、彼らの家に泊めてもらうこともありました。
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そんなグループの中の夫婦がわが家に遊びに来て数日滞在しました。雪がなくても愉快なオージーでした。
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韓国から来た超まじめな高校生
息子が通う高校が国際交流の一環として韓国のソウル大学校師範大学附属高等学校の生徒を受け入れました。在校生の家庭にホストファミリーの要請があったのでわが家でも受け入れました。
ヨンジュという男子生徒です。驚くほどまじめで礼儀正しい少年でした。物静かですがいつもニコニコしていました。日本語ができないので英語で会話をしましたが、日本語を一生懸命覚えようとする姿が印象的でした。
韓国は日本以上に受験競争が厳しい国です。高校生の中には夜食を持参して夜遅くまで学校で勉強したり、塾で勉強したりするという話を聞いていましたが、進学校に通うヨンジュもそれに近い生活だったようです。うちに滞在している間はそんな生活から解放されてのんびりできればいいなと思いました。
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パパ・ママと慕ってくれたタイの女子学生
市内にある大学が国際交流の一環としてタイのプーケットにある大学の学生を受け入れた際に、市民にホストファミリーの依頼がありました。そのときわが家にやって来たのがイーウという女子学生です。可憐な女の子で、私たち夫婦を「パパ」「ママ」と呼んですごく慕ってくれました。たった2日の滞在でしたので、遠くに出かけたりせず、町を案内したり、家でおしゃべりをしたり、料理を作ったりして過ごしました。キッチンでいっしょに料理をしている時は自分の娘といるような気分になりました、
数年後に大学を卒業したイーウはプーケットにある世界的に有名なリゾートホテルに就職し、フロントマネジャーとして働いていましたが、現在は結婚してスウェーデンで暮らしているようです。
夜遊びに明け暮れたオージーボーイ
シドニーのハイスクールを卒業したミックはシドニー大学の獣医学部への進学が決まっていましたが、1年間のギャップイヤーを取得し日本に留学しました。すでにハイスクールを卒業していましたが、日本では公立高校に通いました。彼にとってクラスメートは年下です。だから話が合わなかったようです。同じ時期に別の留学エージェントを通して留学していたオーストラリアからの学生と仲良くなり、彼と過ごすことが多かったです。
これは私の私見ですが、欧米の若者の多くは子どもの時は親の庇護のもと、時に厳しく、時に溺愛とも思えるような育てられ方をしますが、ハイスクールを終えたら親元を離れ自立して生活することが当りまえのようです。だから18歳を過ぎると急に大人びてきます。日本の若者との大きな違いに私には思えますが、18歳を過ぎていたミックも日本の高校生を物足りなく思っているように見えました。
だからかもしれませんが、ミックは夕方学校から帰るとたびたび都内に遊びに行っていました。音楽が好きな彼は特にクラブがお気に入りのようでした。日本の高校に留学しているとは言え、年齢的にはそれを制限することはできませんし、彼の留学エージェントもそれを禁止してはいませんでした。私も大事な若者を預かっているので心配ではありましたが、門限を決めてクラブに行くことは許していました。ミック自身も分別をわきまえた青年だったので、門限はしっかり守りながら楽しんでいたようです。それにしてもよく通いました。よほど楽しかったのでしょう。
帰国後、両親から丁寧なお礼状が届きましたが、クラブでの夜遊びが一番楽しかったらしいと書いてありました。帰国後は獣医学部に進学予定だったミック、今頃は獣医師として活躍しているでしょうか。
アメリカから来た先生はアフリカ出身の黒人女性
ジェシカはアメリカのオハイオ州にある私立学校の教師です。フルブライト研修グループの一員として来日し、一部が私の住む町にやって来ました。滞在中は市内の学校を訪問し、先生たちと懇談し、日本の教育について見聞を深めていました。
一行はそれぞれ市民の家庭にホームステイし、ジェシカはわが家に滞在しました。彼女はコンゴ(その後ザイール)の出身です。母国の大学を卒業後アメリカオハイオ州の大学院に留学し、そのままアメリカ国籍を取得してフランス語の教師となりました。ずっとオハイオ州のシンシナティで生活し、やはりアフリカ出身の男性と結婚して二人の男の子を授かりました。
私も教師だったので彼女とは共通する話題が多く、滞在中は日米の教育について様々な情報交換をしました。私の知らないコンゴのこともたくさん教えてもらいました。
ジェシカは現在もオハイオ州の同じ学校に勤めています。同州はアメリカ大統領選の激戦州です。ジェシカの生活がどうなったかちょっと気になります。