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無痛分娩ですが・・・

私は二人の子どもを無痛分娩で産みました。お産を少しでも軽くしたかったからです。私はお産がとても不安でした。「産みの苦しみ」という言葉に幼いころから恐怖を抱いていたので、「苦しみ」は少しでも減らしたいと思いました。麻酔をかけたのは出産直前です。陣痛は普通に体験しました。出産時には麻酔をしていましたが意識はあったので子どもの産声がはっきり聞こえました。感動で涙があふれ出ました。

正直なところ結婚前は子どもはいてもいなくてもよいと思っていた私でしたが、子どもを産んでからは違います。子どもは最高の宝物です。子どもがこんなにかわいいとは思いませんでした。子どもが大きくなった今もその気持ちは変わりません。

当時は無痛分娩がそれほど一般的ではありませんでした。だからなのか、無痛分娩をしたことを人に言うとびっくりする人が多くいました。信じられないという反応をする人もいました。予想した言葉が返ってくることも少なくありませんでした。「産みの苦しみがあるから子どもはかわいい」というあの言葉です。陣痛の苦しみは十分に味わいましたし、子どもをかわいいと思っている私にはとても違和感がありました。お産をしたことのない人から言われたとき、特に男性から言われたときは違和感はさらに大きくなりました。

しばらく前の朝日新聞に「産みの苦しみ神話」という記事が掲載され(2024年7月10日)、以下のようなリード文が添えられていました。

「おなかを痛めた子」の表現のように、出産の痛みは特別な意味を持たされている。その痛みは必要なのか。その視線は女性や社会に何をもたらしてきたのか、「産みの苦しみ」を考える。

記事では3人の専門家が意見を述べていましたが、まさに子どもを産んだときの私の気持ちが代弁されているよう二思いました。助産学研究者の田辺けい子さんは、「産みの苦しみ」には二つのまなざしが向けられていると言います。「おなかを痛めた子」という言葉に象徴される「特別なもの」と、出産は痛くて苦しくて当然で「それがあるべき姿だ」という考え方です。

欧米では無痛分娩が一般的で、フランスでは8割、米国で7割ですが、日本は1割程度だそうです。出産を集約化しているフランスなどと異なり、日本では小さなクリニックが多くの出産を担っており、麻酔管理が難しいということが理由のひとつとして挙げられます。ただ、それだけではなく無痛分娩が広がらない現状の根底に、「(無痛分娩に)力を入れる必要はない」という人々の意識があると田辺さんは言います。そこには「痛みに耐えて自力で産むことに意義がある」とする風潮もあり、それは女性の中にもあると指摘します。長らく産みの苦しみは女性の価値を上げたり下げたりするものだったようです。

日本で欠けているのは権利の視点であり、「どのように産むか」「自分のからだのことを自分で決める」という人権が保障されていないと田辺さんは指摘します。そしてこの権利は無痛分娩をする人にも、麻酔をせずに「自然なお産」を望む人にも保障されるべきで、両者は対立するものではないと言っています。

私が子どもを産んだのは40年以上前です。私自身は無痛分娩を決して後悔していません。むしろ痛みが和らげられ、産後の回復が早かったと感じています。当時に比べると現在は人々の意識も変化していますので、他人の出産に対して無責任な批判をする人は減っていると思います。けれども、「産みの苦しみ神話」を語る人はいまだにいるように思います。帝王切開をした人が「あの痛みを知らないんだね」と冷ややかに言われたという話も聞きます。

二度の自然分娩を経験した産婦人科医の宋美玄(ソンミヒョン)さんは「痛みを感じることで母性が強くなるというのは根拠のない価値観の押しつけであって、痛みに意味はない」と断言しています。出産のしかたと子どものかわいさは関係ないと私も思います。

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