109 国際交流のきっかけはスウェーデンからの来訪者
スウェーデン人のディパクが勤務先の学校を訪ねてきたのは1990年代の終わりのことでした。彼は市内の別の学校を訪ねるつもりでいたのですが、事情があって私の学校を紹介されて訪れることになりました。彼は美術の先生でストックホルムの高校と大学で教えていました。日本の美術に関心が深く日本を訪れて学校を見学したいと思っていたところ、たまたまストックホルムを訪れた日本人から同校の美術の先生のことを聞き、その先生を訪ねて行こうと考えたようです。
ところが当の先生は何年も前に定年退職されており、連絡がつかないということで、校長が代わりに受け入れてくれないかと私の勤務先に言ってきたのです。ちなみに勤務先の校長は美術が専門です。学校見学が目的ならその学校が受け入れてもよいと思うのですが、なぜか美術の教師が受け入れを渋ったと言います。外国人の突然の訪問依頼に戸惑ったのか、あるいは英語で案内するのが面倒だったのかもしれません。
いずれにしてもディパクは私の学校を訪問することになり、英語科の私が世話役を任されました。当時は外国人の来客はたいてい英語科の教師が通訳兼世話役を任されました。私自身はお世話することに不満はありませんでした。むしろ楽しみでもありました。
ディパクはインド系の50代前半の男性でした。英国の大学で学んだあと移民としてスウェーデンに渡り、国籍を取得して美術教師なりました。
来校した日は朝から熱心に授業を見学し、美術科の教師にもたくさん質問をしていました。休み時間やお弁当の時間、放課後の部活動も興味深く見学していました。近隣の小学校にも足を運び情報を入手しました。とにかく好奇心が旺盛で行動がエネルギッシュなのです。
そんな彼が一日の滞在を終えて夕方学校を出る時間になったとき、「どこか適当なホテルはないか」と私に聞いてきました。なんと彼はその日泊まる場所を決めていなかったのです。市内にホテルはありますがすでに時間は6時を過ぎています。部屋が空いているとも限りませんし、彼が気に入るかどうかもわかりません。「うちでよかったらどうぞ」と私はわが家での滞在を彼に勧めました。日本の家庭を体験するのも悪くないと思ったからです。彼は喜んで受け入れました。
こうしてディパクはわが家で最初の外国人ゲストとなりました。私も夫も子どもたちも家庭での外国人との交流は初めてでしたが大いに楽しむことができました。そしてその後もディパクとは家族ぐるみで交流を続け、30年近い今もそれは続いています。彼は家族を連れてたびたび日本を訪れていますがそのたびに私の家に泊まっています。私も学会でスウェーデンに行ったときには彼の家に泊めてもらいましたし、娘もひとりで彼のところに遊びに行きました。たった1日の出会いがこれほど長い交流になるとは思いもしませんでした。
そしてディパクの受け入れをきっかけに我が家には様々な国からのゲストが滞在するようになりました。その数は50人以上になります。ディパクとの出会いがなかったらわが家の国際交流は始まらなかったのではないかと思います。小さな出会いがたくさんの出会いにつながることを実感しました。