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「綿矢りさ」という作家
綿矢さんとの「出会い」
都内の大学院に通っていたときのことです。夏休みでキャンパスに学生の姿はまばらでした。そんな中、何気なく掲示板を眺めていたら、すぐ横で小柄な女子学生が不思議な動きをしているのが目に入りました。同じように掲示板を見ているのですが、身体を上下に「ぴょこぴょこ」動かし、まるで操り人形のようです。小柄なので掲示板の上部が見えにくかったのか、飛び上がって見ようとしていたのでしょう。
思わず吹き出しそうになりました。そして笑いをこらえながら彼女の顔を見て驚きました。作家の綿矢りささんだったからです。前年に史上最年少で芥川賞を受賞し、メディアにもたびたび登場していたので私は顔を覚えていました。高校生の時に書いた小説『インストール』で文藝賞を受賞し、推薦入試で同大学の教育学部に入学したことも知っていました。
「有名人」である彼女が一学生として普通に行動していることに私はとても好感を持ちました。さらに彼女の「奇妙な」行動をほほえましく思いました。だから「もっと見やすい位置に掲示してくれたらいいのにねえ」と思わず声をかけました。彼女は何も言わずににっこりと微笑みました。
私は彼女の作品をすべて読んでいるわけではありませんが、これまで何冊か読んできて作風が徐々に変わっているように感じました。そんな彼女のインタビュー記事が新年の朝日新聞(2025 年1月3日)に掲載されていました。そこでは私が感じていた疑問についても語られており、興味深く読みました。
朝日新聞デジタルの記事↓
以下、引用はすべて同記事から。
【インタビュー記事から】
「受賞第一作」のプレッシャー
芥川賞の受賞者は次にどんな作品を書くかと注目されます。受賞作はたまたま生み出されたものなのか、それとも作家として秀でた才能を持つから生み出されたのかを見極めるバロメータのような機能が「受賞後第一作」にあるからです。だからプレッシャーを感じる作家は少なくないようです。彼女もその一人でした。
綿矢さんの「受賞第一作」はなかなか出ませんでした。私は芥川賞を受賞した『蹴りたい背中』を読んで、次に彼女がどんな作品を書くのか非常に興味がありました。でも、なかなか出ないので「どうしたのだろう」と思っていました。結局、次作が出たのは4年後の2007年です。『夢を与える』という作品です。
インタビューで綿矢さんはプレッシャーについて語っています。「受賞後第一作」と書かれることに対する気負いのようなものが彼女にはあり、それがプレッシャーになっていました。そしてスランプに陥りました。それでも「書くしかない」「書けるものを書いていくしかない」と思って、書き続けました。そうやって作品を書き続けた結果、今はもう「生きている限り書いていける」と思えるくらい「ふてぶてしく」なったといいます。そうしたプレッシャーを乗り越える強さが彼女にはあったのでしょう。そして、作家に必要な「ふてぶてしさ」も得たのかもしれません。
「誰に何と言われてもいい」と思えるようになった
『インストール』や『蹴りたい背中』を書いていた初期の頃は、「人からどう見られているのか」を気にして苦しむこともありました。デビュー作が注目されたことで周りの友だちが自分のことをどう思うかと不安でした。だからネットで誹謗中傷を書かれたりすると気にしていましたが、今は単に「嫉妬されていただけ」と考え、「人はそんなに自分のことを気にかけてない」と思えるようになりました。「他人になんと言われてもかまわない」と思うことは作家だけでなく、だれにとっても大事なことだと思います。
作品に見られる変化
彼女がずっと描いてきた人物は、「他人にどう見られているか、周囲になじんでいるかと気にしながらうまく対応できない人、恋愛や対人関係に不器用でコンプレックスを抱える人」でしたが、最近は「生まれながら自己中な人」を書きたいと思うようになったといいます。それは、「他人がどう思うか理解できないし、そもそもそんなことを気にかけたりしない人、『他人ウケ』ではなく『自分ウケ』だけを考えて突進する人たち」です。
そのような人たちは「人の気持ちが分からないし、楽観的すぎて危なっかしいことをしてしまう未熟さや弱さがあって、世間からは理解されないし、将来も明るくはないかもしれない」けれど、「人間的な成長なんていうものとは無関係にやみくもに生きる人が見せる野性的な世界は魅力的であり、書いていてとても面白く感じる」と綿矢さんは言います。
作家自身の変化
コロナ禍での経験を通して彼女自身も変化したようです。「最初のころはコロナという未知のものへの恐怖から時間があればスマホを手にして情報を集め、自分にも他人にも厳しくなっていた。でも、今は世の中全体がまるでコロナなど存在しないかのように見える。当時は情報が正しいのかもわからないのに、それを信じ込み、簡単に動かされていた」のです。
けれども、そういう経験をした結果、「目に見えないものに対する恐怖を持つ必要があるのかどうかと考える」ようになります。そして、「無防備な今の方が危険なのかもしれなけれど、確実にみんなが楽になっている」と感じています。「見えないもの」と闘うことを疑うようになりました。
「人にどう思われているか」これも目に見えない不確かなもののひとつです。「誰もが愛されたいし、群れからはぐれたくないから、うまく振る舞って、時には無理をして孤独を避けている。でも本当は孤独じゃないのではないか。『自分』がいるじゃないか。無理なときは無理でいいし、そうなりたい」と彼女は語っています。
「自分のそばには自分がいる。だから孤独じゃない」という言葉に私は強い共感を覚えました。
他人の意見や考えが無数に目に入るSNSの時代に
綿矢さんは次のようにも言っています。「私がティーンの頃は、自分はナイーブなのに世の中からは『そんなこと気にしなければいい』と言われ、ハラスメントや弱者の切り捨てがあちこちにあってしんどかった。でも今は、傷つけば『分かるよ』と共感してもらえるし、傷つけた人に厳しい制裁が加えられることもある」
「ようやく自分の弱さを世間が許してくれるようになったと最初はそれを肯定的に感じていたけれど、最近は人の心に敏感すぎる息苦しさもある。様々な評価や正しさや倫理観が飛び交い、自分たちでルールやマナーを作り、自分で自分の縛りをきつくしている。物を書く時も、『書いたら傷つく人がいるかも』『不快な人がいるかも』『文芸業界から締め出されたらどうしよう』と考え、パワーがそがれていくような感覚がある」
「スマホひとつで何かに縛られたり、誰かと比べてしまったり、心を攻撃されたりする流れは止まらないだろうから、一人一人が『そんなものはくだらない』『実際に襲われているわけじゃない』『自分の目の前にある現実世界は平和だ』と目に見えるものを大事にした方がいい」
言葉を扱う小説家として、SNSで発信される束縛の強い言葉には負けたくないという気持ちが彼女の中にはあるそうです。
【インタビュー記事を読んで】
綿矢さんが高校在学中に書いたデビュー作『インストール』を読んだときは17歳の瑞々しい感性を感じ、さわやかな読後感がありました。ちなみに、彼女が在学していた京都の高校は私が卒業した学校でもあります。だから親近感を持ったのかもしれません。
けれど、数年後に読んだ芥川賞の受賞作『蹴りたい背中』はそれなりに楽しめましたが、『インストール』を読んだときほどの感銘は受けませんでした。どことなく違和感がありました。「受賞第一作」の『夢を与える』はさらに大きな違和感がありました。そもそもタイトルがオリンピック選手の発することばのようで私の好みではありません。
そんな私の違和感がどこから生じているのだろうと考えた時、思い浮かぶ理由のひとつが「読者に対する過度な意識」です。読者が楽しむ作品、読者に喜んでもらえる作品、読者がほめてくれる作品を書こうという意識が彼女の中にあり、それが私の共感を阻んでいたのだと思います。。インタビューでも彼女は言っています。「読者や文芸協会のことを考えているうちにパワーがそがれていくようだった」と。そうした不安や気遣いが作品に表れていたように感じます。私がSNSの多くの記事に対して抱く印象と同じです。
人にどう思われているかという目に見えない不確かなものと闘うこと、群れからはぐれたくないからうまく振舞って無理をすること、自分の存在を他者に委ねることから解放された彼女の最近の作品には初めの頃の作品との大きな違いを私は感じます。だから素直に楽しめます。
記事を読んで彼女の作品が変化していると私が感じた理由が少しわかった気がします。「ぴょこぴょこガール」の彼女も今や40代。私が掲示板の前で見かけた彼女とは明らかに違うと思います。この先の作品を楽しにしたいです。
綿矢りささんの主な作品
『インストール』河出書房新社 2001年11月
『蹴りたい背中』河出書房新社 2003年8月
『夢を与える』河出書房新社 2007年2月
『勝手にふるえてろ』文藝春秋 2010年8月
『かわいそうだね?』文藝春秋 2011年10月
『ひらいて』新潮社 2012年7月
『しょうがの味は熱い』文藝春秋 2012年12月
『憤死』河出書房新社 2013年3月
『大地のゲーム』新潮社、2013年7月
『ウォークイン・クローゼット』講談社 2015年10月
『手のひらの京』新潮社 2016年9月
『私をくいとめて』朝日新聞出版 2017年1月
『意識のリボン』集英社2017年12月
『生(き)のみ生のままで』(上下)集英社2019年6月
『オーラの発表会』集英社 2021年8月
『あのころなにしてた?』新潮社 2021年9月 - 日記
『嫌いなら呼ぶなよ』河出書房新社 2022年7月
『パッキパキ北京』集英社 2023年12月
*ヘッダーの写真は文藝春秋ホームページから借用しました。