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石油は手で掘られていた

日本の産油地はほとんどが日本海側にありますが、太平洋岸で唯一のものが静岡県牧之原市にある相良油田(さがらゆでん)です。手掘りの油田として知られています。先日現地を訪ねました。

現地の説明版より

徳川家康の旗本だった村上正局(まさちか)が明治5年に発見しました。それを日本の石油王と言われる石坂周造が知り、翌年の明治6年に開抗し、採油を始めます。10月には米国製の綱堀り機が導入されますが、手掘りはその後も続きます。古い鉄塔が立っていました。昭和25年に掘られた石油坑です。わずかながら石油は今も出るらしいです。



脇にある説明板に明治後期の「手掘り井戸」の写真がありました。斜面に井戸の小屋(ヘッダーの写真)が密集して建てられています。最盛期には240の小屋があり、年間およそドラム缶3600本分の石油を産出していたそうです。やがて石油は徐々に取れなくなり、昭和30年にはすべての事業が閉じられました。

井戸の深さは100メートル以上あり、深いところでは250メートルもあったそうです。そのような場所で手作業により石油を掘り出す作業が多大の危険を伴うものであることは容易に想像できます。まさに命懸けの作業だったのでしょう。

手掘り井戸小屋を再現したもの↓

内部の様子。手前が井戸。その向こうは井戸の底に空気を送り込むための装置。もちろん人力です。

人力作業の様子

明かり取りの窓。深い井戸の底までは十分な明かりは届かず、作業は真っ暗な中で行われました。


油田資料館では当時の作業の様子など知ることができます。

NHK静岡放送局による紹介↓


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