オーストラリアの校長先生を密着取材しました
私はこれまでオーストラリアの学校をたびたび訪問し、先生たちの日常をつぶさに見てきました。これは学校長に一日密着したときの記録です。(写真は必ずしも記事に直接結びつくものではありません)
ケイ校長の一日
ケイ先生は公立ハイスクール(中高一貫校)の校長です。オーストラリアでは女性校長の割合が日本よりずっと多いですが、ケイ先生も長年校長をしてきました。魅力的な女性で、スクールリーダーとしても抜群の能力を持っており、私が出会った学校長の中でもトップクラスではないかと思います。残念ながら日本でロールモデルとなる学校長に出会うことの少なかった私には、その仕事ぶりに感銘を受けました。スクールリーダーのあり方について考えるきっかけもくれました。
朝8時、ケイ校長は校門付近に立って登校する生徒に「グッド・モーニング!」と声をかけます。毎朝の日課です。送迎の保護者とも言葉を交わします。その日は子どもの様子が気になるという母親としばらく話し込んでました。
始業のベルが鳴りました。ケイ校長は自分のオフィスに行ってメールのチェックを始めます。朝から大量のメールが届いています。机の上には家族の写真が飾られています。私がおみやげに持って行った漆塗りの名刺入れも置いてあります。途中で副校長がやって来ました。保護者との間でトラブルが発生しているようです。ケイ校長は副校長としばらく話をしました。保護者のクレーム対応は担任ではなく管理職の仕事です。日本で担任が行う業務の多くをオーストラリアでは管理職が担っています。副校長が退出するとケイ校長は「最近は保護者のクレームが増えているのよ」と言って苦笑いしました。オーストラリにも「クレーマーペアレント」はいるようです。
メールのチェックを終えるとケイ校長は事務室に足を運びます。事務職員から何通かの書類を受け取り、その足で別の棟に向かいます。9年生の棟です。複数の棟が渡り廊下でつながっており、廊下から教室の中がよく見えます。廊下を歩きながら教室内の様子をそれとなく覗き込むケイ校長。授業が順調に行われているか確認しているようです。9年生の棟に到着した先生は、学年コーディネーターの部屋に行きました。学年コーディネーターは学年全体のまとめ役という位置づけですが日本の学年主任とは立場がやや異なります。リーダー的存在ではなく、学年全体の運営を円滑に進める役です。ケイ校長はおそらく先ほどの「クレーマーペアレント」のことを話したのでしょう。話はやや長引きました。
話が終わるとケイ校長は自分のオフィスに戻ります。戻る途中、8年生の教室が見える場所でしばし立ち止まり、中の様子を覗いました。授業をしているのは教師になって2年目の若い男性です。生徒との関係がうまくいかず、学級崩壊が心配されており、ケイ校長もたびたび相談に乗っています。教師の悩みに対応するのも学校長の重要な仕事です。
オフィスに戻る手前で、ケイ校長は教員室(スタッフルーム)に立ち寄りました。教員室は校内に複数ありますが、そこは教職員全員が集まることのできるメインの教員室です。教員室と言っても日本のように教師一人一人の机が並んでいるわけではありません。複数のソファーとテーブルがあり、冷蔵庫や電子レンジ、コーヒーサーバーなどがあります。ラウンジと言った方がぴったりです。ケイ校長はサーバーでコーヒーを2人分入れ、1つを私にくれました。校長だからといってお茶が運ばれてくることはありません。飲みたいときに自分で入れて飲みます。
オフィスに戻ったケイ校長は、コーヒーを飲みながら書類の整理を始めました。ケースにはたくさんの文書が入っています。てきぱきと処理していきます。途中で何度か電話がかかってきました。スタッフも入れ代わり立ち代わりやって来ます。
11時。外で生徒たちの声がします。休み時間です。オーストラリアにはランチタイムの他にモーニングティーと呼ばれる長めの休み時間があり、その時間はおやつが食べられます。ランチはどちらの時間帯でも食べられます。もちろん両方で食べることもできます。
モーニングティーは20分間です。ケイ校長はパフォーミングアーツの教室に向かいました。地区のダンス発表会に出場する生徒を激励するためです。ケイ校長は練習をしていた生徒たちに激励の言葉をかけ、学校のロゴが入ったタオルを配りました。
その後、ケイ校長は再びオフィスに戻り、パソコンで作業を始めました。副校長が作成した補助金申請書類のチェックです。補助金獲得は学校長の重要な仕事です。学校には年度ごとに予算が配分されますがそれ以外にも様々な資金を集め教育活動を充実させる必要があり、その手腕が校長に求められます。校長は企業の経営者のような役割を担っていることがわかります。
ランチタイムになりました。ケイ校長はキャンティーン(ランチやスナックを販売している売店)に足を運びました。キャンティーンは生徒や教職員でいっぱいです。ケイ校長は売り場の女性に「忙しいわね」と親し気に声をかけ、ソーセージロールを注文しました。女性はソーセージロールを渡しながら、「新しいメニューがすごい人気よ。今度食べてみて」とケイ校長に言います。8年生の生徒の母親ですが友だち同士の会話のようです。
ケイ校長はソーセージロールを手にして教員室に向かいます。歩きながら落ちているごみを拾います。教室内は飲食禁止なので、生徒はランチを外で食べます。だからランチタイムのあとはごみがいっぱい散らかっています。
教員室に着くとケイ校長は冷蔵庫からランチを取り出し、中央の丸テーブルの席に座りました。ランチは昨夜のパスタの残りです。テーブルにはすでに何人かの教員がいてランチを食べていました。ケイ校長も加わります。ランチは自分のオフィスではなく教員室で食べるようにしています。コミュニケーションを図るためです。ケイ校長は先ほど買ったソーセージロールとパスタを食べ始めました。
ランチタイムが終わり、午後の授業が始まりました。ケイ校長は午後は校外に出かけます。学校が支援を受けている地元企業との会合です。学校は企業や団体などから毎年多額の寄付を受けていますが、そうした関係を構築するのも学校長の重要な仕事です。
ケイ校長は2時間ほどで学校に戻ってきました。今日は生徒が下校したあと3時半から職員会議が行われます。職員会議は全員が集まれる広々とした会議室で行われます。やはりソファが並んでいてゆったりとしています。先生たちは思い思いの場所に腰を下ろします。飲み物を手にしている先生が多く、バナナやリンゴを齧っている人や、大きなポップコーンのカップを抱えている先生もいます。会議中も食べています。
会議ではケイ校長が最初に話をします。日頃の努力への感謝を延べた後、教育省からの伝達事項を伝えました。次に、副校長が今後の予定を確認し、いくつかの審議事項を提示しました。先生たちからはいろいろな意見が出ます。常に誰かが発言しており、日本の学校に見られるような沈黙の時間はありません。活発な話し合いです。資料はスクリーンに映し出され、紙の資料は配布されませんでした。会議は30分ほどで終了です。何と無駄のない会議かと感心しました。
職員会議のあと先生たちはすぐに帰宅します。でも、ケイ校長にはこのあとまだ仕事があります。5時半から行われる保護者組織の定例会合に出席するのです。日本のPTAのような組織ですが学校運営にも大きく関わっており、学校と連携して教育活動を担っています。会合は月1回行われますが、仕事を持つ保護者も参加しやすいよう夕方以降に行われます。もしかしたら学校で一番忙しいのはケイ校長なのかもしれません。
学校長の仕事は多岐にわたる
オーストラリアの教員は女性が全体の7割を占めており、女性校長も多いです。OECDの調査(2018年)では女性校長の割合は4割で、日本の倍近いです。でも教員の7割が女性であることからすると割合はまだまだ小さいと言えます。
オーストラリアの学校長は男女を問わずよく働くという印象を受けます。リーダーとしての存在感もあり、尊敬もされています。ケイ校長の様子からわかるように、学校長の仕事は多岐にわたります。業務は学校経営全般に関わりますが、教育活動の向上、学校環境の改善、行政への対応、地域との連携、各種資金の獲得、衛生安全対策、教職員の労働改善、勤務評価など範囲は幅広いです。外部機関との関係構築や教職員の職能開発にも責任を有します。
学校長には幅広い権限があります。たとえば、教職員の採用、停職や解雇、給与に関わること、予算の執行、教育方針の策定、生徒の入学や懲戒、カリキュラム、教材、教具の選定などすべて学校長が権限を有します。学校コミュニティの意見を取り入れながら、最終的な判断はすべて学校長が行います。日本の校長よりはるかに権限は大きいです。その反面責任も大きく、高い能力が求められます。強いリーダーシップも必要です。学校のリーダーとして信頼され、尊敬され、親しまれる存在でなければなりませんし、ある種のカリスマ性も必要ではないかと感じます。生半可な力量では務まらないという印象を受けました。
苦労も多いがやりがいもある
大きな権限を持つ学校長ですが近年はなり手が減っていると言われます。3人に1人がストレスを感じており、睡眠障害やうつ病に罹患する校長も少なくないそうです。業務の多さや複雑さに加えて、教員不足、教職員の精神疾患の増加、保護者対応の難しさなども校長のストレスの要因となっているようです。
ある州の統計によれば、1年で最も忙しいとされる第3学期(1年は4学期)の校長の実質労働時間は週に約80時間(週末を含む)で、2週間の休業期間中も15時間以上仕事をしています(2017年)。これは一般教員に比べるとはるかに大きい数値で、残業時間が桁外れに多いことがわかります。もちろんこれは一年で最も多忙な3学期だからであって、すべての学期が同じというわけではありません。ちなみに一般教員の場合は休業期間中に仕事をすることはほとんどありません。日本との大きな違いと言えます。
ただ、そのような中でも9割以上の学校長が仕事に満足しており、雇用条件についても8割以上が満足と答えています。給与に関しては7割以上が満足しています。仕事量が多く、責任が重くても、それに見合うだけの報酬が支払われているということなのでしょうか。それだけのやりがいを感じているのだとすればそれはそれですごいことだと思います。