何が杉原千畝さんを突き動かしたのか
リトアニアのカウナスにある旧日本領事館を訪ねたのは4年前です。第二次世界大戦中、母国日本の命令に従わずユダヤ人にビザを発給し続けた杉原千畝氏が勤務していたところです。建物は市の中心部から少し離れた、緑豊かな高台の住宅地にあり、現在は記念館として公開されています。
ナチスの迫害を逃れてポーランド脱出を決意したユダヤ人が唯一生き残る可能性を見出した手段が、シベリア経由で米国に渡ることでした。そのためには日本の通過ビザが必要です。でも日本政府はビザの発給を認めませんでした。
「私を頼ってくる人々を見捨てることはできない」と杉原氏は独断でビザを発給しました。母国の命に背いての行動は苦渋の決断だったと思います。手書きのビザは2千通以上になるそうで、最終的には6千人以上のユダヤ人を救ったと言われています。
杉原氏の偉業はリトアニアでも高く評価され、首都ビリニュスには記念碑が建てられています。日本でも多くの人に知られ映画も作られています。私もユダヤ人を救った人道的な人物として杉原氏のことは知っていました。でも実際に現地を訪れた私は自分がきわめて表層的な知識しか持っていなかったと感じました。
再現された執務室には杉原氏がビザ発給に使用した机と椅子が置かれており、発給リストやビザのコピーも展示されていました。私は椅子に座ってみました。杉原氏はどのような気持ちでペンを走らせていたのだろうと想像した私は胸が苦しくなりました。
2階の居住スペースには杉原氏の家族写真が飾られていました。写真からは温かい家族の様子がうかがわれます。ベランダに出るとビザを求める人々が押し寄せる光景が目に浮かんできました。
母国の命令に背いてまでして杉原氏がビザ発給に駆り立てたものは何だったのでしょう。どんな気持ちでサインをしていたのかと考えずにはいられませんでした。「人類愛」などという言葉では簡単に片づけられない思いが杉原氏の心の中にあったのではないかと思います。