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「SATC」、誰が創ったのか問題

ブックオフなどのリユースショップ、洋書売り場でキャンディス・ブシュネル著「Sex and the City(邦題セックスとニューヨーク)」を見かけるたびに、思います。

多くの人がドラマ「SATC」の原作本というのにひかれて購入したんだろうなあと。

キャリー、ミランダ、シャーロット、サマンサの友情や恋愛模様が本で読める!?と期待したくなりますが、原作本のジャンルは小説ではなくノンフィクションのルポルタージュです。

ですから、ドラマ「SATC」のようなストーリー性はまったくなく、状況的には「極道の妻たち」と似ています。(「極妻」は、家田荘子さんが原作ということになっていますが、こちらもインタビューなどに基づいたルポルタージュで、映画のようなドラマティックなストーリー要素はありません。)

原作本にもキャリーやサマンサ、ミスタービッグなどドラマのモデルとなった同名キャラクターが登場しますが、それぞれ別々の人物でキャラクター同士に関係性はありません。

では、誰がドラマ「SATC」を創作したのでしょうか?

3人のキーパーソンがいます。

キャンディス・ブシュネル
週間新聞「The New York Observer」にコラム「Sex and the City」を連載。

ダレン・スター
脚本家、プロデューサーで、コラム「Sex and the City」のファンだったのをきっかけにドラマ化を思いつく。

マイケル・パトリック・キング
監督、脚本家、プロデューサーで、実際に「SATC」を制作する。

「SATC」以降、この3人のうち、誰か一人でも制作に関わった作品は、「SATC」制作者が創った!と宣伝される運命を辿ることになりました。

ところが、ほとんどの作品は「SATC」に比べるとイマイチです。

キャンディスがストーリーを考えた「マンハッタンに恋をして〜キャリーの日記〜」は、とってつけたような内容で薄味でしたし、ダレンスター最新作の「エミリー、パリへ行く」は、視覚的な華やかさはありますが、物語に深みがなく、中身スッカスカの印象を受けます。

結局のところ「SATC」らしさや、その面白さとは、キャンディス×ダレン×マイケル、3人の化学反応が産み出したものだったのではないでしょうか。

まず、キャンディスは、コラムニストやエッセイストとしての才能はあると思いますが、そもそも小説家ではないので物語を作る才能があったのか疑問です。「Lipstick Jungle」も、ありがちなキャラ設定とストーリーでした。

ダレンは「ビバリーヒルズ青春白書」や、「カシミアマフィア」、「younger」、「エミリー、パリへ行く」、「シングルアゲイン」などでもわかるように、目を惹かれる、華やかさがある作品に長けるイメージがあります。こちらもストーリーに深みはありません。登場人物たちは、特に理由もなく恋が始まり、苦労もなく仕事が成功し、ふわふわとした友情が描かれます。

マイケルは、良い意味で人間臭い作風が魅力です。「SATC」以降、あまり新作が出ていないので、データは少ないのですが、「AJ&クイーン」なんて人生のほろ苦さがいっぱいです。おしゃれなファッションやファンシーな場所よりも、人との絆やつながり、裏切り、人生の意味などに重心が置かれています。個人的には同じNetflixの「エミリー」よりもはるかに観る価値があるドラマだったと思います。

つまり、「SATC」はキャンディスのコラムニストとしての着眼点の鋭さ×ダレンスターのキラキラ感×マイケルパトリックの人間ドラマを描写する力。これら3つの要素がミックスされているから面白いのだと思います

多くの人がそうであるように、私もまだ「SATC」を超えるほど面白いと思えるガールズドラマを発見できていません。

つまり「SATC」を創ったのは特定の誰かではなく、異なる個性を持つ3人の才能が奇跡の融合をし、化学反応を起こした偶然の産物なのです。

それでも私は、"なにか「SATC」のようなもの"を求めて、「エミリー」やキャンディス、マイケルパトリックキングの新作を楽しみにしています。そして何を観ても、やっぱり「SATC」の魅力を再確認して、もやもやしてしまうんですが。(笑)


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