「ホットライン」第3話
大介たちの腰には、スタッフが用意した赤色のフラッグセットを付いている。
笛を首にかけた川神は、集まった赤と青のビブスを着た十人を一望した。
「皆のフィールドはNFLルールの一般サイズでいきます」
ということは、エンドゾーン各10ヤード。横のプレイフィールドが、間にセンターラインを挟んで40ヤード、縦25ヤードの長方形だ。
「攻撃権は一回、サードダウンまで。自陣5ヤードから始めて、ハーフラインを越えたらファーストダウン更新です。ランはなし。インターセプトもパス失敗ね」
続く川神の説明を聞きつつ、大介はちらりと三岡の顔を見た。
ったく、キラキラした顔しよって。
普段の練習では五対五の機会などないから嬉しいのだろう。
「じゃあ、どちらが先攻か、じゃんけんで決めましょう」
川神が両チームから一人を見繕って手招きする。一番背が高くて目立ったからか、さっき隣にいた奴と、大介が選ばれた。
じゃんけんの結果、青が先攻を選び、両チームはハーフラインを挟んで円陣を組んだ。
「自己紹介の時間を三分設けます。その後のハドルはルール通り十五秒ね」
円陣の中、五人はそれぞれ自己紹介する。
真ん中分け頭の中背の男子が二年生の吉田。小柄でショートカットの丸顔の女子が脇、ポニーテールの細身の女子が早川。二人は三年生だ。
皆、初心者だという。だからか、三人とも表情はやや固い。とはいえ、大介もフラッグに関しては初心者に変わりはない。
まあ、別に勝敗はどうでもやけど……やるからには勝ちたい、よな。
「ディフェンスはマンツーやな。ゾーンなんて複雑なのは無理や」
「そうだね。ええっと、1―3でいきます。前列は脇さん。後列は吉田さんと早川さんと私。レシーバーをそれぞれマークしてね。後で割り振ります」
気が付けば三岡がリーダーシップを発揮しているが、あまりに堂々としているので三人とも異論はないらしい。緊張気味の面持ちで頷いた。
「俺は?」
「シドくんはラッシャー。始まる前に手を上げて、QBのフラッグを取るかパスを邪魔しに行って。得意分野でしょ」
「まあな」
アメフトでは相手のブロックをかい潜ってパスラッシュをかけるのが仕事だった。フラッグではラッシャーがその役割を担うが、手を上げて自分がそのポジションであることを宣言するので、走路は優先される。ブロックは反則だから接触もない。その意味では大介を最大限に活かす配置ではある。
「前列の脇さんはセンターの人をマーク。とりあえず、これでやってみよう」
笛の音と共に、両チームは向かい合って隊形を作る。
青はセンターの大柄なお団子頭の女子のすぐ後ろに、先ほど隣り合った奴が立つ。
あいつがQBやったか。
確かにあのキャッチボールの様子を見れば納得だ。
ファーストダウン。
向かってセンターの右側に青の小柄な男子が二人セット、逆サイドには金髪だ。三岡は男子二人に吉田と早川を割り振り、自分は金髪の前に付いた。
「セー、ハット!」
中性的な掛け声とともにセンターの股の下からボールを受け取り、QBが三歩下がった。四人が割り振られたパスルートへと走り出す。
大介は最前列の七ヤード後方から、全速力でQBを目指して駆ける。
誰にも邪魔されんのって、楽でええな。これなら――
しかし、その考えは甘かった。大介がたどり着くよりも早く、QBはすぐにパスターゲットを見つけてボールを投げた。
あ、と思った時には、ボールはもう大介の頭の上を飛び越えている。
そうか。フィールド狭いから、投げるタイミングも速いんか。
アメフトとは似て非なるところだ。己の迂闊を呪い振り返ると、パスターゲットだった男子がキャッチし損ねて、がっくりと項垂れているのが見える。
どうやら向こうも初心者が混じっている。実戦であのQBの球をキャッチするのは、彼には荷が重かったのだろう。大介はほっと胸を撫で下ろし、自陣へと戻る。
両チームが再び円陣を組んだ。
「ラッシャーって、報われんなぁ」
ぽつりと呟くと、三岡は苦笑して大介の肩に手を置く。
「そういうもんだよ。サックなんて滅多にできないもん」
でも、と三岡は微笑んで続ける。
「QBにプレッシャーなしってわけにもいかない。落ち着いて投げられちゃうからね。報われないんじゃなくて、目立たないだけなの。だからチーム皆で労ってあげよう。一番走るポジションだからね」
三岡がそう言うと、残りの三人も少しはにかんだような笑顔を見せた。
そう言われると、悪い気せんな。
なんだかくすぐったい気持ちで大介は頭を掻く。
セカンドダウン。
再び両チームが隊形を作る。今度は金髪と男子が右サイドに二人だ。
「セー、ハット!」
大介は再びラッシュに向かう。後方の様子は分からないが、どうやらしっかりマークがついているらしく、QBはなかなか投げない。
これなら!
チャンスとばかりに大介はQBへと肉薄する。
しかし、QBは右手でボールを持ったまま大介から逃げた。
こいつ……速っ!
加速して追いすがる大介から距離を取ると、QBは走りながら前方へパスを投げ込んだ。振り返ると、三岡を振り切った金髪が前に走りながら顔だけ振り返る。
投じられたボールは緩やかな放物線を描き、金髪は走る速度を緩めることなく、そのままボールを肩越しにキャッチする。そして一気にエンドゾーンへと駆け抜けた。
長い笛の音共に、川神が両手を上げる。
「タッチダウン!」
腰をぶつけ合って喜ぶ金髪とQBを、大介は小さくため息をついて見つめる。
30ヤードは投げたか。走りながら……強肩やな。
しかも迫る大介のプレッシャーを避ける瞬発力もある。大した身体能力だ。
三岡が大介の元に近寄ってくる。息は乱れ、顔は少し悔しそうだ。
「やられた。速い。あの金髪の子」
「俺もや」
あの金髪もキャッチが上手い実力者。QBとの息も合っている。
大介の中に、沸々と悔しさが込み上げてくる。同時に――
嬉しい。こうしてフィールドに戻ってきたことが。
「なあに? 嬉しそうな顔しちゃって」
三岡がふっと吹き出し、大介は慌てて「別に」と顔を背けた。
でも、それを彼女に見透かされるのも悔しいのだ。
再び一分間のポジションを決める時間が与えられ、両チームが円陣を組む。
こちらのセンターは脇、レシーバーには残りの三人、QBは当然のように三岡だ。
「やり返そう。パスルートは三人がフック」
三岡は川神から貸し与えらえたプレーブックを三人に見せながら、パスルートの説明をする。
フックは少し真っすぐに前に行ったら振り返る、短いパスルートだ。
「俺は違うんか?」
大介が問うと、三岡は不敵な笑みを浮かべる。
「ねえ、シドくん。パスルートは全部、頭に入ってるよね?」
「そりゃ、まあ」
アメフトではレシーバーではなかったが、当然、知識としては持っている。
でも、大介がそれを完璧に把握しているのは、それ以上の理由がある。
三岡は満足げに頷く。
「なら、シドくんはポスト。オプションルートはジグアウト」
「オ、オプション?」
大介は目を丸くする。
オプションルート。レシーバーが自己判断でパスコースを変更することだ。こんな付け焼刃のコンビですることではない。
「お前、そんな無茶な――」
言い募る大介の背をばしっと叩き、三岡は片目を瞑る。
「私たち二人で勝負を決めるよ。いいね?」
ファーストダウン。
赤は右サイドに大介、左サイドに吉田と早川を置いた隊形。青は前に男子二人、後ろにお団子と金髪の二人の隊形で、ラッシャーはQBだ。
QBの人をシドくんにつけると思ったけど、なるほど、2―2のゾーンか。なら――
「セー、ハット!」
三岡はボールを受け取り、三歩下がる。
ラッシャーであるQBが、大介と遜色ない速さでこちらに向かってくるのを視界の端に捉えつつ、三岡はレシーバーたちの様子を窺う。
フックに走る三人にはきっかりマークがついていた。お団子が前にゾーンを変えたのだ。大介には金髪がついているのが見える。
3―1のゾーンに切り替えた? 付け焼刃のチームで偽装なんて、やるじゃん。でも、どっちみち第一ターゲットはシドくん。ここはそれで通す!
QBは三岡の視界を遮るように向かってくる。このスピードに恃んでロングパスを封じようという作戦だろう。
QBが迫る。視界を塞ぎパスを邪魔する? いや、これはサック狙いだ。
上等! どんな体勢でも私は投げる。
あとはシドくん。あなたの本当の力を見せて!
大介は忘れかけていた父の言葉を思い出す。
(ええか、大介。パスルートは絶対や。全部、体で覚えろよ)
そう言って、幼い頃から叩き込まれ続けたバスルート。体格からラインに選ばれ、活かす機会はこれまでなかったが。
ポスト。フィールドの内側に45度の角度で曲がるルート。
大介はきっかり七歩で内側にカットを切る。だが、金髪はそれにぴったりとマークして前に入ってきた。実戦さながら、隙あらばインターセプトという構えだ。
くそ、こいつバック走、速っ! でもな!
大介はきっかり三歩目で、再び外へと方向転換する。虚を突かれたか、金髪は一瞬隙を見せた。
ジグアウトはポストからさらにもう一度、90度で外へと曲がるパターンだ。
振り切った! あとは――
こちらに投げると、三岡を信じるのみ。
走りながら振り返ると、QBに追いつかれかけていた三岡は、それを右にかわしながらボールを投じていた。
その軌道が大介の頭の中に瞬時にイメージされる。
まるで虹のようなアーチ。
その付け根は、まるで最初から大介がそこにいることが分かっていたかのように、大介の手がそこにあることを予知していたように。
ボールが完璧なタイミングで大介の手に吸い込まれる。
取れ、た?
自分でも驚くほどスムーズにキャッチした大介は、サイドライン際をそのままエンドゾーンへ駆けた。
川神が長い笛を吹く。
「タッチダウン!」
息を整えつつ大介はその場で天を仰ぐ。そして――
初タッチダウンパス……ああ、これは、気持ちええなぁ。父さん。
思わず、ぐっと拳を握り締めた。