【 2050年問題について 】
【2050年問題とは】
18日と19日に国連SDGサミットが開幕された。
わたしはペシミストなので希望的観測はしない。
問題なのは、人は人類を生かすためにつくられたロボットではないということ。
普通に生きてる人間たちには、自己がいかに心地よく存続できるかが、最大の関心ごとであり、その後の世界がどうであるとか どうなるかなんて脳の片隅にあるかないかのオマケ程度でしかなく、ウワベでは地球のこととか子どもの将来のこととか不安を語るけれども 実際のところは、その程度の持ちようしかないと踏んでいる。
昨今の環境破壊への取り組みをみていればよくわかる。
2050年まで保つか保たないか。たとえそこまで生きながらえたにせよ、せいぜい生きてあと数年の命なのだから、死なない程度、不快にならない消費をつづけてうまくやっていくしかない。
高齢者であればあるほど そういうものである。そこまでの深刻さがない。今の若者たちと立場が違いすぎるのだ。
だから彼らは当てにならないし、頼りもしない。
今のところ残念ながら 国を動かしているのは、まだこういう軽い構えの大人たちだから、著しい変化は期待できぬだろう。
せいぜいこれ以上ひどい施策、消費をやってしまわぬよう、監視の目を強めるくらいしか、若者にはできない。
もってあと数十年
時が来れば 高齢者はどんどんこの世を去り リアルに生きる若者たちの時代となる。環境破壊を自分たちの生きるリアルごととして見つめなおし、ようやく国も政治も 本腰をあげることができるだろう。
日本でさえ まだこの調子 ダメダメやん ;
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