「壊れかけのレディオ」 少年は大人に変わったか
あの頃
街にはいつも少年がいた
顔見知りの少年が
いつも街に溢れていた
街全体がわれわれの庭であり
安心して遊べる生きる世界だった
それが何十年も年をとり
街の様相も大きく変わってしまった
街にはもうあの頃の少年はいない
いるのはかつてあの頃少年だった大人ばかりだ
過去を捨て 少年時代の記憶を忘れ
必死に今の生活に食らいつく大人たち
街で少年を見かけても
かつての少年の面影を取り戻す大人は少ない
あの頃の少年はもうこの世にいないのか
もう一生会うことも叶わないのだろうか
/
わたしは思う
少年はまだわたしのなかにいる
【少年のような大人】 という表現には
褒め言葉であると同時に
何の大人の苦労も知らず気楽で羨ましい
といった嫌味も含まれるようだが
少年のようになるという抵抗は相当なものだし
ルサンチマンによる憎まれ口でしかない
しかしそんな苦労をしてでも
世の中には【少年のような大人】 が
もっとたくさん必要であるように感じる
【少年のような大人】 がもっとたくさん
街に溢れていれば
きっと少年もまた安心を取り戻すだろう
今の少年がかつてのわたしのように
安心して街で遊べないのは
われわれが大人ぶるからだ
決して立派な大人になりきれたわけでもないのに
見た目だけが大人らしく成長してしまって
少年以上に大人だと錯覚しているからだ
年をとれば誰でも大人だし
見た目は誰だって大人らしくなる
大人は少年の延長線上にあるのだという自覚を無くし
少年を別物として距離を置く社会には問題がある
われわれは「元」少年だ
大人の皮をかぶってはいるものの
中身はさほど「現」少年と変わらない
あの頃の少年は まだここにいる
思い出さないだけなのだ
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