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ストレイチルドレン クリア後考察&感想日記

2025年2月2日、ストレイチルドレンの1周目をクリアしました。
クリア前に書いた日記の通り、クリア前・クリア後の考察と感想の比較をしておきたく、記録を残しておこうと思います。
2周目は、一旦落ち着いてから、且つ記憶が薄れる前にやろうと思っています。
ここに書くのは私が

・公式情報・事前情報を知らずに考えたこと
・自分の経験などから妄想したもの

などしかありませんので、

「それは公式情報で語られてる」
「メルマガで読んだよ」

みたいな既出の内容や間違いがいっぱい入っているかもしれません。

でも、1週目はとにかく何も見ないでただ目の前にあるこのゲームだけをやりたかった。
そして、それを終えた時点の「感想と考察」です。

さて……

●ネタバレ注意

ちょっと小耳に挟んだんやけど……
ここから先は盛大なネタバレを含むんやて
まだ遊んだことない子やクリアしてない子は引き換えしたほうがええんちゃう?
ちゃんと前置きしたからね
ほなまたね

▼クリア前の考察はこちら







●王道か、アンチ王道か

推理もののセオリーの1つに、「犯人は物語の序盤から登場していること」というのがあります。
ミステリー映画を見ていて、犯人が映画終了の10分前に初登場して
「えっコレ誰?初めて出てきたけど!?」
となって終わったらスッキリしませんよね。
そんなわけでミステリーでは
「まさか序盤から出てきていたあのやさしい人が犯人!?」
となることが多いわけです。

ストレイチルドレンのラスボスは、このミステリーの王道を行く展開で、かなり最初の方から存在が確認できており、私も序盤から怪しい怪しいと思い続けてきた人物でした。
「人物」って言ってええのかわからんけども。

まぁ、ストレイチルドレンはミステリーではないのでこのセオリーは関係ないかもしれませんね。
うっかりセオリーなのか、計算して仕込んだのかとても気になります。

RPGとしてはどうなのか、というのはまた別問題です。
初期のドラクエやファイナルファンタジーのように「誰がやっても(寄り道はあれど)同じルートをたどり、最終的なエンディングは同じ。世界を脅かす脅威を倒して勇者が世界を救う」というものを王道としていた時代が確かにあって、ストレイチルドレンの前作「moon」は確かにアンチ王道、というか王道を揶揄したうがった作品でした。

最近は「RPGはこうあるべき」という古き懐かしき王道スタイルというものからだんだんとバリエーションが増えており、ストレイチルドレンはそれほど「アンチ王道」って感じではないのかもしれません。

ただ、プレイ中の感想に書いたように「万人受けするために誰もが楽しめる易しい、そして大量に売れることを想定したゲーム」を王道とするならばストレイチルドレンは王道ではないでしょう。

●ヤスヨのこと

ストレイチルドレンのラスボスは、まさかのおばちゃんでした。

「犯人はヤス」って言いたいネーミングなの?

あんなにマシュマロをたくさん焼いていつも見守っててくれて、
「おばちゃんそのネタはどこで小耳に挟んできたん?」
と思いながらも有用でかなり頼りにしてたのに……。

「まさかの」と書いてはいますが、私はかなり前半の頃からこのおばちゃんとケンケンのどちらか(あるいは両方)が怪しいと思いながらプレイしてきました。
おばちゃんはセリフからしてかなり京都人っぽいので、より私の警戒度が高まってたかも。
かく言う私も京都人なんやけどね。

余談はさておき。

オトナたちはフィールドに出るものも、各国のボスたちも抜け殻があり、また図鑑にページがあります。
装備や道具を売ってくれるオトナたちも、図鑑こそないものの抜け殻がありました。
店のオトナたちは、
「物理攻撃してこないけど、主人公のサイフにダメージを与えるオトナなのかな」
なんて思っていましたが、ケンケンとヤスヨは抜け殻もなく、さりとて子どもでもなく、主人公を助けてくれる存在です。

そして、ケンケンは主人公とともに同じ世界に落ちてきた描写があるけれど、ヤスヨだけはどこから来たのか、何故主人公を助けてくれるのか、まったく描写がありません。
ラスボスが女性ということにも、意味があるのかも(後述します)。

親切に「あなたのためよ」と近づいてくる大人には警戒しなさいよ、というメッセージなのかもしれません。

現実世界でも同じようなことがありますよね。
仲良くしている友人が、SNSで匿名で誹謗中傷していたり。

あ~世知辛い。

●お父さんのこと

TrueEndではお父さんと出会うことができました。
想像通りやっぱりお父さんは既に亡くなっていて、人生の辛さや苦しさに押しつぶされて心残りがあったようです。

でも、気になったのが主人公との会話。
主人公のことは大事に思って親としての愛情もしっかりあったようですが、具体的に「あの時一緒に遊んだな」みたいな話が全然ないのです。

仕事仕事の人生を送っている最中に息子(主人公)が生まれて嬉しくて、「この子のためにも頑張らなくては」とさらに働いて働いて働いて……そして突然終わってしまった。

そんな印象を受けました。
旅の中で最後にたどりついたお父さんだけど、優しい言葉をかけてもらえるでもなく、人生の愚痴を聞いてあげてお別れになるところが現代日本の在り様という感じで「闇が深いな」と思います。
ふたりの会話を聞いていると、まるで主人公の方が大人のようでお父さんの方が疲れ切って甘えを見せていて、親子が逆転しているみたいでした。

時系列がちょっと理解できていなくて、ゲーム中に出てくる「moonそっくりの世界ミカヅキ」がmoonなのだとするなら、

・お父さんはいつ失踪したのか?(moonの発売は25年以上前。ミカヅキは発売されなかったことになっている)
・主人公はいつ生まれたのか?(どう見ても小学生。ランドセルを背負っている)

このあたりがいまいち把握しきれないのです。
でもまぁ主人公が持っているのがスマホでなくて二つ折りのガラケーっぽいので、時代設定が「2000年くらいの話やで」ってことなのかもしれません。

●ケンケンはどうなったのか

ケンケンは最後はお父さんと一緒に電車に乗って行ってしまいましたね。
お父さんとはどういう関係だったのか、ケンケンもすでに魂だったのか、わからないことだらけでした。

最初にケンケンを疑っていたのは、ストレイチルドレンが「ゲームの中の世界」なので、オープニングで主人公を迎えに来たケンケンと「ゲーム内のキャラとして設定されたケンケン」は別の存在で、主人公を導くために作られたプログラムではないかと思っていたからです。

直前に見たマトリックス4作の影響を私の思考がもろに受けている……!

でも、ラスボス戦で頑張ってくれたので、今はもう疑ってないよ。おばちゃんにしてやられてたとこも見たしね。

●moonはどうなったのか

ここは、謎だらけですね。
moonというか、ストレイチルドレンの中では「ミカヅキ」となっていますす。
ROMカセットとしても古そうだし、奇板(基盤)をアイテムとして出すためにプレステからファミコンだったという設定に変わっているのかなと思いました。

moonの時はmoon世界の人を救ってエンディングとなりましたが、今回のストレイチルドレンではそもそもミカヅキを救うという話ではなかったので、元に戻ったのかどうかは重要ではないのかもしれません。
ゲーム全体が輪廻を想起させる作りになっているっぽいので、ストレイチルドレンではミカヅキが崩壊しない選択はないのかもなぁ。

●ラスボス戦

最後にイベントでヤスヨが立ちはだかって、逃げ惑うケンケンたちの生命をジェムに変えて、それからボス戦が始まります。

ていうか、今まで集めてたジェムって、生命の欠片やったんや……。
一所懸命各地のジェムを集めていた身としては、戦う前にかなり戦意を削がれます。

戦闘のラスボスは大きなジェムを抱えた赤ん坊で、主人公の行動ターンを奪ってきます。

まさかの、ずっと敵のターン!

しかし、ケンケンの手助けもあり、ボスがまき散らす歯車をかいくぐりながら、同じくまき散らされるジェムを集めて自分のターンを取り戻していきます。
ラスボスには成仏がなく、かける言葉もなく、ただ互いに攻撃を繰り返すだけ。

・ラスボスからの攻撃は歯車や、「歯車を想起させるもの(時計とか)」が多い
・こちらの攻撃が当たると、第二形態みたいにボスの形が変わり、歯車になっていくような演出
・戦闘中にラスボスはジェムを使ってくる(手放していく=手持ちの命が減っていく)

というあたりから、「赤ん坊がオトナになって社会の歯車になる」というのを表現しているんだろうなと思いました。
ジェムを手放すたびに、痛みを知るたびに、少しずつオトナに「ならざるを得ない」悲鳴を上げているように見えました。

ずっと無垢な子どもの心のままでいたいのに、否応なしに世界に「組み込まれていく」。
それを表現したらこんな形になったのではないでしょうか。

おばちゃんが戦闘前に立ちはだかるのも、「あらゆる生物の頂点に立ち、新しい生命を生み続け、増やしていける者…汝の名は、女なり!」ということで女性が抜擢されたのかもしれないなと思います。

……あ、ここはわかる人だけわかったらええんよ。

●顔のない周回プレイの主人公

ラストダンジョンのあたりから、自分と同じ姿かたちの少年がチラホラと視界に入る演出があり、そしてオトナのそばで残酷に死んでいる描写がたくさんありました。

さらに、最後の直前の演出で顔のない主人公が「君、何のためにここまで来たか覚えてる?」と聞いてくるシーンがあります。
そこを通るために必要な通行手形は、主人公がもっと小さい時に描いたであろう「お父さんの似顔絵」です。

ひとつ前の考察でも書きましたが、ここで出てくる顔のない自分は、

「オトナを攻撃したらTrueEndが見られないかも」
とか
「オトナを一体でも成仏させそびれたら真エンドは無理かも」
とか
「全アイテムをコンプして完クリしないと意味ない」
とか思っているプレイヤーを揶揄しているのだと思います。
そういう、誰にも言われていない自分で作ったルールを自分に課して、それが正しいことだと信じで自分で守っている、「オトナになってしまったプレイヤー」なんじゃないかな。

「旅の目的はそういうことじゃない、お父さんを探しに行くんだ」
って最初から示されていたのに、自分ルールが大事になって、クリアに到達するために死なないことよりも(TrueEndを見るために)オトナを傷つけないよう何度もGAME OVERになったプレイヤーが、大人のそばで死んでいるんです。

生きているけど目的を見失って顔がなくなってしまった主人公は、「最初の気持ちを思い出して」って教えてくれているのだと思います。

ちなみに私は自分縛りプレイとかまったく気にせず、倒しに倒しまくって、レベルMAXの60まで上げました。
くるくるルーレットが楽しすぎたwwwww

●魂の叫びが聞こえる

クリアして最初の感想は、
「魂の叫びのようなすごいゲームだな」
というものでした。

小さな子どもがオトナ(死者)の救済を繰り返してお父さんを見つける。
でもそのお父さんもまた、これを最後にもう二度と会えないことがわかります。
薄々
「お父さんはもう、きっと……」
と思いながらプレイすることになるとは思うのですが、
「そうだよ、その通り。でもお前はここを離れて元の世界へ帰れ」
ということを突きつけられるのです。

私はTrueEnd(と思われるEnd)を見たのでクリアした清々しさもゼロではない上に、やりきれなさを受け止めて終わるのでものすごく複雑な気持ちになります。
後味が悪いと言うのとも違っていて、ゲームに出てくる他の子どもたちがあんなに憧れた「大人になること」は、つらさや苦しさに心を削がれていくことでもあるのだ、というのを、突きつけられるのです。

「ゲームを作るのは楽しいよ。でも辛くて苦しい」
というお父さんのセリフが、まるで開発者さんのセリフのように聞こえて、

「もしかしたらこれを最後にゲーム作りをやめてしまうのではないか」

と感じてしまいました。

でもこんなに面白かったと思っている人間がここにいます。

色んなゲームを遊んで、楽しかった、面白かったとたくさん思ってきましたが、こんなに考えさせられるゲームはなかなかありません。

一瞬も目が離せなかったし、どんどん先へ進めたいけれど、終わるのがもったいなくてちびちびやりました。

しばらくしたらもう1周遊んでみますが、クリアのちょっと前にどうもアップデートされたようで、難易度がどのように変わったのかも気になっています。
私はアップデートしないままでクリアしたかったな。
難しかったけどものすごくやりごたえがあったし面白かったです。

オニオンゲームスにはまだまだゲームを作ってほしい。

終わった今も「あれはどういう意味だったのかな」と考えながら過ごしています。

また2週目をやったら、そのあとの感想もまとめたいなと思います。

ほなまたね


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