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【小さな物語】粉雪のなかで…
3月中旬…
その日は朝からずっと冷え込んだまま
今にも雪が降ってきそうな寒い日だった
”じゃあ、行くね…”と、言う私に
”雪が降りそうだから気を付けて…”と
ひとこと言っただけの母が
後ろ姿の私を玄関先で見送ってくれた
”行って来るね”とわざと言わなかった理由
あの時の母には
本当はわかっていたのだろうか
もう…
きっと帰る事はない
そんな思いであの朝、家を出た事
どこへ行くの?
いつ帰ってくるの?と、
いつもなら尋ねる母
でも、あの日は違っていた
私が
これからしようとする事を
わかっているかのように
母は何も聞かなかった
いつもなら見えなくなるまで
後ろ姿を見送ってくれる母が
玄関の引き戸を自ら閉めて
”行きなさい”
と、言う声が聞こえるように
送り出してくれた
それまで
一人で旅行になんて出かけた事がなかった私が
”じゃあ行くね”
と、ひとこと言って出かけた時の後ろ姿を
母は、今も覚えているだろうか…
何もかも
全部塗り替えてしまいたかった
二人で歩いた道
二人で暮らした街
二人で過ごした時間
自分だけの色に
すべて塗り替えてしまいたかった
そうしないと
一歩も前に進めなかったから
一人で歩いて
一人で過ごして
そんな時間の中で
少しづつ
一人でいる事の淋しさが埋まっていけば
最初の一歩が
踏み出せそうな気がしていた
東京駅・東海道線のホーム…
それまで
一人で旅行に出かける事もなく
新幹線の切符さえ
まともに買う事の出来なかった自分が
すごく悲しかった
"一人って
こうゆうことなんだ…"
なんて、改めて実感したりして
彼と暮らした遠い街まで
各駅の切符を一枚手にして
ホームへの階段を上って行った
一瞬にして
目の前が真っ白にさらさらと
粉雪が舞い下りて…
その粉雪の向こうに
一人の男の子が
まるで待ち合わせでもしたかのように笑顔で立っていた
ホームには
ほかに誰もいなかった
電車が入り
私が座った真向かいに来て
”ここ座ってもいいですか?”と、聞いた
こんなに空いてるのに
どうしてここなの?
と、思いながら、
”どうぞ…”と、言ってしまった私
それからずーっと
私の持っていたおにぎりセットのお弁当を見つめて
”そのおにぎり一つ分けてくれませんか?”
お弁当、買って乗るの忘れちゃって
この電車各駅だから
着くのに時間がかかるんですよね
それ計算してなくって…”と
まるで悪気のない
子供の様な笑顔で話す姿がおかしくて
そう言われて
分けてあげたおにぎりを
本当においしそうに食べてくれた事
それを見ていただけで
なんだか
これから一人で
彼と過ごした時を
私色に塗り替えるの何の…
一人で過ごせる様に
生きていかなくちゃ…
なんて
何処までも暗い考えが
どこかにすーっと消えてしまって
とても不思議な感じだった
それから
その男の子は自分が今までどんな風に育ってきたか
おじいちゃんやおばあちゃんに
どんなに可愛がられてきたか
自分の名前の由来
そして
どうしてこの各駅電車に乗る事になったのかを
本当に
面白おかしくいっぱい笑わせてくれながら
長い時間
私に話してくれた
その間
私の事については何一つ触れず
聞く事さえしないでいてくれた
ただ
どこへ行くの…と、
一言だけ聞いて
思いもしなかった楽しい時間をくれた男の子は
電車を降りる事になった
電車を降りるぎりぎりになって
走り書きで
自分の名前と電話番号を書いたメモと…
”必ず東京へ帰っておいでよ!”と
ひとこと笑顔で残して降りて行った
”必ず東京へ帰っておいでよ!”…の言葉が耳から離れなかった
どこに行っても
どこを歩いても
私色に塗り替えるはずの
道も、街も、時間も…
すべて
どこにも残っていなかった
一人で歩いて
歩いて…
歩いて…
いっぱい二人で過ごした時間の中をさまよっていても
もう、そこには
彼と二人で過ごした時間は
流れていなかった
私の帰る場所は
母の居る
友達の居る
こんな私を無条件で迎えてくれる温かな場所だった
何も聞かずに
気が済むまで
歩いてくればいい
そんな思いで見送ってくれた
母の居る場所
いつも変わらない
温かさのある友達の居る場所
そんな場所へ戻らなくては…
私を暗い淵から引き戻してくれた男の子は
私にとって
心の大切な恩人です
彼にとっては
なんて事のない出逢いだったのかもしれないけれど
あの日、
あの時、
粉雪が舞っていなければ…
あの男の子に出逢えなかったのかもしれない
”必ず東京へ帰っておいでよ!”
あのひとことが聞こえなかったら
今の私はここにいなかったのかもしれない
その後…
その男の子は
私が困っている時も
どんな時も
優しく支えていてくれました
一人旅にも慣れた頃
京都からの帰りに台風で
東京駅から自宅までの電車やバスが止まってしまった時
台風の中、笑顔で迎えに来てくれた事
一人で過ごすクリスマス…
大きなシクラメンの鉢を両手に抱え
一晩中いっぱいいっぱい笑わせてくれて
それから彼女の元へ帰って行った事
どんな時も
私にとって優しい弟のような存在でいてくれた事
粉雪の中で出逢えた事が
私の一番大切な記憶です
粉雪が舞うと
遠い記憶の優しい彼を
いつも、いつも想い出します
粉雪の中で…