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北陸富山にて 幼い頃育った土地の空気感と美味しいもの その1

1,富山に行くということへの「感慨」


※(見出し画像 高岡駅前 大伴家持像)
 
 11日から14日まで、IPS(意図的なピアサポート)というものの勉強会で北陸の富山県へ行っていた。

 私の父は転勤族だったが、私が1歳から小学校4年の頃までは富山市に勤務しており、私にもかすかに当時の生活の記憶が残る。

 今回、noteには、研修そのものの学びはもちろん後述するとして、富山へ行ったことでの見聞したものや美味しいもの、などの、いわば「旅行記」から書いていこうと思う。

 結論から言って、富山には小学校の前半までいたわけだが、やはり大人になり、「自分の意思で、自力で旅する」ということは、様々な感慨がわいた。

幼い頃は、当然、親がどこへでも連れて行ってくれたし、後は幼稚園や学校の絡みで出かけるだけ、と言う感覚だった。

だから、富山をしっかり、「考えて」歩いたことはなかった。

今回の想い出は、結論から言えば、「1つ1つ、全てが愛おしいもの」になった。

2,北陸新幹線 人生初乗車!!

10月11日(金)、朝5時半起床で、神奈川県の最寄駅から東京駅に向かい、8時33分の金沢行きで人生初の北陸新幹線に乗車した。


東京駅の北陸新幹線、電光掲示板!


この時、初めて知った。

北陸新幹線は、北関東から長野を経由していくものだと・・。

実は、前回、富山と言うか北陸地方を来訪したのが2014年。

北陸新幹線開通の前年である。その時は、当時住んでいた東北地方から、仙台から夜行バスに乗っていったものだ。なので、今回が私にとって、北陸新幹線初乗車。ちょっと楽しみだった。

そして新幹線の中では、初乗車の北陸新幹線のアナウンスからしてもう、私には新鮮だったし、私にとって、北関東の「高崎」や「安中榛名」、浅間山の麓の「佐久平」、長野市辺りもまるで未知の世界だったので、通過したり、停車するだけでワクワク感があった。(ほとんど少年かも?)

そして11時前に富山に着いた。



3,懐かしのわが校区


富山に着くと、約束を取り付けてあった、幼い頃、親の関係でお世話になっていた方と合流し、少し時間を取ってもらった。

食事を共にして、家族の近況や、当時のことなどお話しした後、「せっかく滅多に来れない富山に来たから、昔住んでた辺り流してみる?」と言っていただけて、ドライブのような感じで、昔住んでいた地域に行った。


言葉はいらない・・。

泣けてきた。

このすぐ近くに住んでいた。

実は、この川で、4歳の頃に溺れかけたのも事実。
(母親に救助されなかったら、あそこで人生は終わっていただろう)

でも、幼稚園から小学校低学年の頃は、遊ぶと言えば、本を読むか、
この川の河川敷で遊んでいた。

ちなみに裏には「富山県立中央病院」があって、当時は古い建物だったが、今はもう、見違えるような立派な建物になっていた。

いろいろな、記憶の底に眠っていたかすかな記憶が、良きもの、忌まわしきもの、全てリンクして掘り起こされ、何とも言えぬ感慨にとらわれた。

ひとつ、富山には「アピア」という大手のショッピングセンターが昭和末期からあって、私は幼稚園の頃からそこが運営するスイミングスクールに通っていたが、今回、近くの私鉄「稲荷町駅」は通過したが、ついぞアピアは散策できなかった。それが今回の心残りの一つである。


4,万葉の里、藤子F不二雄先生の故郷、高岡にて


その後は、1人で「あいの風富山鉄道」という第3セクター地鉄に乗車し、県西部の中心都市、高岡市へ。

私は、富山市を出る直前、これから高岡に向かう自分に、勝手に運命と言うか、巡り合わせを感じていた。

ニュー速で、ドラえもんの声を長年務められた大山のぶ代さんの訃報が伝えられた日だったのだ。

高岡市は、ドラえもんの原作者、藤子F不二雄先生の故郷。

A先生との出会いも、家庭の事情でA先生が氷見市から高岡市へ越してきたから、だったとか。(転校したばかりで、周りに馴染めず一人で絵を描いていた安孫子少年=A先生に、F先生こと藤本弘少年が、「お前、絵がうまいのう」と声を掛けて、2人の50年に渡るまんが道がスタートしたとか)

とにかく、そんな日に、10年ぶりに富山県に入り、記憶の限り、小学校1年の遠足以来、38年ぶりに高岡市を訪れる・・大山のぶ代さんの「ドラえもん」で育った世代としては、不思議な偶然を感じずにはいられなかった。

さて、高岡は鋳物など、モノ作りが盛んで、昔は城下町。

街中には歴史を感じる古城公園があったり古い町並み、古い商店が立ち並び、ゆったりとした空気が流れ、素晴らしい古都の街だ。
ちなみに私がコーヒー飲みに入った休憩どころは、やはり激ドラえもん推しだった

ちなみに高岡は万葉集の歌人、大伴家持(おおとものやかもち)が国司として赴任して、もちろん当地でも和歌を多く作っているため、歴史系のスポットもたくさんあるようだし、藤子F不二雄先生の故郷のミュージアもあるようだ。しかし、私がこの日観光したのは、

日本3大大仏の1つ「高岡大仏」

・高岡古城公園

大仏も古城公園も、高岡の歴史的な水準を感じさせるものだったが、簡単に述べていくと、大仏は今の形になったのが1933年と、鎌倉や奈良とは違い、「今の形」としての歴史は浅いようだ。(大仏そのものは18世紀から存在しているようだが)。大仏の中にも入ることが出来、中で参拝したり、仏教の世界に触れることも出来る。思い切り、住宅街の中にあることも特徴だろうか。

古城公園は、加賀藩の史範、前田家が高岡を治め、江戸時代の途中から高岡は代官所になったようだが、明治時代になって城址を整備して市民に開放したものらしい。博物館もあってなかなか楽しかった。


高岡古城公園。歴史の息吹を感じる
小学校1年の遠足以来の高岡大仏、鎌倉とはまた違う趣

おっと、富山市へ戻る前に・・

大切な気持ちでご挨拶してきた。


大山のぶ代さんにありがとうの気持ちを込めて…

5,ホタルイカの沖漬け

さて、富山市に戻り、ホテルにチェックインしてから、せっかくということで、1人で富山駅近辺で飲むことにした。

しかし、やはり金曜の夜、かなりいろんな店に「満員です」と言われ、「もしかしたら今日は、コンビニ弁当かも?」とも覚悟した。

ようやく、5軒目に連絡した店に入ることが出来た。

「おひとり様セット」があったのでそのコースにしたが、自分で選べる料理の中に「ホタルイカの沖漬け」があった。

ここに私は、「ああ、私は、富山にきたのだ、そして飲み屋にいるのだ・・」と実感して、嬉しさに震えそうだった。

説明すると、ホタルイカと言うのは、富山湾でしか獲れない、秘宝と言うべきイカなのだ。

もし他の土地でホタルイカの沖漬けや塩辛を食べようとしたら、おそらく都内の高級な富山の郷土料理店で、かなりいいお値段がするだろう。

それを、リーズナブルに普通の居酒屋で食べられる・・。

それだけで感激だった。

ホタルイカの沖漬けが来た。


富山湾の秘宝、ホタルイカの沖漬け。本当に、美味かった、としか言えない…

美味かった…

言葉にならない…

コリコリした食感、酸味…

ホタルイカが身近で安く食べられるだけでも、富山の人は幸せだなあ(笑)

これから富山を来訪する人にもオススメです。

では、2日目以降の見聞については、次回以降に。



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