夢を絶たれ、再び夢を持って仕事をする
私は、結論から言うと「何者でもない」。
しかし、今、回り道の果てに、幸せをつかみつつある実感がある。
そもそも、私は気づいたのは25歳の時だが、生まれつきに発達障害があり、そのために精神疾患の患者にもなり、その頃追っていた、「知的障がい者福祉」の仕事の夢を諦めて、一度は親元の東北地方に戻らなければならなかった。
悔しかった。
自分の身を、「オール3」に生まれなかった自分の不幸を、親を、恨んだ。
その頃は、ドラクエ3の闇の世界みたいに周りの景色がどす黒く見えていた。
それから約20年…
東北で、数年前に縁あって神奈川に来て、ずっと辛いことが多い人生だったし、楽しいこともあったけど、辛いことの方が多かった歩みだった。
でも、根本で、私を支えていたものは、20代前半にいた八王子で、
知的障害者福祉の仕事をしていた日々に実感できていた
「自分のような人間でも、人に喜ばれ、必要とされる存在となりうるんだ」
という、あの感覚をもう一度、味わいたい、その思いが本当に強く、その思いで頑張ってこられたと言って過言ではない。
そして、今、友人から「うちの会社でライターをやって欲しい」と直接頼まれ、有料で記事を書かせていただけるようになった。
かねてから好きだった、「モノを書くこと」
それが、相手からの要請により、仕事に出来たのだ。
実は、私は大学を卒業して、最初の会社が、かなりブラックな不動産で、その会社は数か月でリタイアとなったが、毎日毎日、人権を蹂躙されるような扱いを受けて・・気が付けば当時、八王子にいた親元にいて、病院通いがしばらく続いた。(メンタル疾患は2年後に再発するのだが)
私にとって、世間知らずすぎてあの会社に内定もらったからとホイホイ入社してしまったのは、その後の人生の遠回りを決めたともいえる痛恨の極みな出来事でもあった。
その反面、本気で毎日考えていた「自分の人生を終わらせること」を実行に移さなかったことは、その後の人生を繋げたという意味で、僥倖だったのかもしれない。自分の存在を消してしまえば、あとはすべて終わりだったのだから。
そして間違いないことは、不幸な事なんだろうが、その会社での一連の出来事は、「仕事とは、生活のためにいやいやながら仕方なくやるもの」という考え、先入観を、私の中に強く植え付けたことが間違いないのだ。
その数年後に八王子の福祉の仕事で、「これは、天職か?」という感覚をえたが、環境面の変化などについていけず結局またメンタル疾患が再発して、今度は関わっていた利用者の方に最後まで寄り添えなかった、という後悔まで・・悔しかった。それから数年は、「今後の人生は余生」と決めつけて過ごしていた。もちろん、その日々は、何も生まれなかった。やがて、私は今後、どうやって生きていくか模索するようになる。
多くの人々にもあった。
事業所や精神科リカバリーの活動などで、多くの事を知った。
数年前から縁あって神奈川県に来た。
そして今・・あの若き日の八王子での日々以来、久々に「ワクワクしながら、楽しく」ライターとしての仕事を始めている。
今は、文章を書くことや、ネタを拾いに地域の集まりに行って様々な人に会ったり、考えることがワクワクして、楽しくて仕方がない。
「夢中になって仕事をする」
こんな感覚をそして
「本当に幸せだ、心から幸せだ」
という感覚を、久しぶりに味わっている。
これから、平日昼間の所属先もあるのだが、文学賞にも応募していきたいし、地域のライターをやったりネットワークを作っていれば、思わぬところから新たな仕事も広がるかもしれない。
今、自分の今後が、楽しみだ。
いつ以来だろう‥こんな感覚、もしかしたら、未成年時以来かも・・。
自分の可能性を諦めず、これからもやっていきたい。