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偉大なるミュージシャンの誕生日によせて

昨日はTHEYELLOWMONKEYの吉井和哉さんの誕生日だ。昨日で58歳になった。

私は今、節目節目や、人生に迷ったときに吉井さんが主に作詞作曲しているTHEYELLOWMONKEYの楽曲に「人生を進んでいく」気力をもらっている。

元々は高校生の時に、あまりにも有名な「JAM」の

(歌詞引用) 外国で飛行機が墜ちました
ニュースキャスターは嬉しそうに 乗客に日本人は いませんでした いませんでした いませんでした・・

という部分が凄く刺さったのが最初だった。

自分自身、今に至るまでそういう精神構造だからだ。

その後、ある同級生とカラオケに行って、そいつが得意げに「JAM」を歌って、余計私はTHEYELLOWMONKEYのことが気にかかるようになった。(そいつは他の友達から借りたゲームソフトを勝手に売り払ってその友達の文句を言ってるような、人間としては全然尊敬できない奴だったけど‥)

また、もう1人の友達が当時、「楽園」を歌っていたのも印象に残る。

これも壮大な歌詞だと思った。

私は、もともと日本のミュージックシーンにかなり「おくて」で、何と初めて自発的にCDを購入したのは高校生になってから、という「札付き」の奴だった。

そこへ初めて、自発的に「興味を持った」バンドが現れた。

もっともこの時代は、残念ながら、「ファン」ではなかったと思う。

自分の事で精一杯だったこともあり、この頃、THEYELLOWMONKEYはツアーを重ねていて、当時、私が生活していた(吉井和哉さんが静岡市育ちで、私の生活圏で育っていた、ということもこの頃は知らなかった)静岡でも何度か公演していたが、「行こう」という発想は起きなかったし、この頃の私は、というか今もそうだという気もするが、とにかく自分の事で一杯いっぱいで、視野の広い人生経験、特に恋愛経験は、この頃はまだ、全然皆無と言ってよかった。このため、例えば当時の8ミリシングル買ってもいわゆる「B面」に目が向かなかったのは残念な事だった。この頃のB面には今にして思うと「MOONNIGHTDRIVE」(SPARK、のB面)「見てないようで見てる」(楽園、のB面)「NAI」(LOVELOVESHOWのB面)という、おそらく、日本ロック史上でも評価されるべき世界観の名曲がずらり。

これはアルバム曲にも当てはまり、「アルバムだけの曲」はこの90年代には、目が向いていなかったが、実はアルバム曲にこそTHEYELLOWMONKEY(特には吉井和哉さん?)の主義主張、やりたいことがぎっちり詰まっている感じで、44歳になった今、その深淵さが少しは理解できているつもりだ。

それらが理解できるようになったのは再結成後。

2018年くらいから、しっかり昔の作品を聞き始め、アルバムも隅々まで聴くようになって、2019年には秋田県でアリーナツアーに参戦した。

小さなハコだったが、それでも最高のパフォーマンスだった。

その後コロナなどいろいろあり、私も岩手県から神奈川県へ居を移すなど人生の転換期でもあったし正直、辛いことの方が多かったが、支えになっていたのはこの時期、THEYELLOWMONKEYの世界観だった。

そして今年、4月の東京ドーム公演へ行った。

初めての大きなハコ、それでも感動したが、この一番の感動は、吉井和哉さんの「喉頭がん」との闘病の映像の後の「人生の終わり」の演奏。

「人生の終わり」は90年代最盛期のアルバム「SICKS」のラスト曲で、親代わりに育ててくれた祖母の晩年に吉井さんが作った曲だというが、このタイミングで出してくるとは・・半分、泣きながら聴いていた。

ずっと、、バンドの灯がいつか消えた後でも、ついていく、と誓ったのがあの7分間の演奏だった気がする。

ちなみに、私が一度、現場で演奏を聞けたら、その日死んでも本望!!くらいな曲があるとすれば、2000年のアルバム「8」のラストを飾っている「峠」と言う曲だ。

コロナで人生計画が狂い、周りとも温度差を感じて苦しんでいたころ、その曲の
(歌詞引用)
悲しいだけじゃ 始まらないだろう
次の峠まで  歩いていかなきゃ 延々・・

という件に、どれだけ励まされたか‥

やはり、好きな音楽があるということは、素晴らしいことなのだろう。

ホールツアーも東北地方で年明けと春に2か所、参戦内定している。

とにかく、吉井和哉さん、お誕生日おめでとうございます。

これからも、健康に気を付けつつ、新たな展開を見せていってください!!





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