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「生まれ故郷」へのこだわりを棄てる 2025
今回は、私の成長を妨げてるのかもしれない、こだわりを2025年は少しでも棄てていきたいと思い言語化する。それは
生まれ故郷のある人への異常に強い憧れ、それに伴う自分へのコンプレックスを棄てる
私は転勤族の子で、小学校高学年から静岡市で育ったが、周囲からすれば心配な子だったので、中学から私立へ入った。
地元の中学は当時、荒れていたし、私立中学に入ったから普通科の高校に入って、一応大学と言うものにも進学できた、と言う面はある。
しかし、30年前の地方都市の私立中学は、やはり独特な空気があった。
保護者は地元の名士が多く、つまりは、よその土地で育った生徒は普通、いない前提なのだ。
だから、静岡弁がネイティブでないとか、そういうことで気後れを感じたし、「地元民ならではの常識」にもついていけなかった。
一番いやだったのは、正月休み明けの「お年玉の額競争」。
本当に惨めだった。
恥ずかしながら、それが「決してスタンダードではない」と気づいたのはかなり後だが、周りは中学生にして6万やら7万、10万という話をしている奴もいた。
「お前、親戚いないの?」とか、果ては「夜逃げしてきたの?」とまで言われて、まだ幼かった私は非常に傷ついた。
小学校は前半は北陸富山、後半は静岡市で育ったわけだが両方とも公立で、転校生が沢山いる環境だったので気になることはなかった。
しかし、この中学時代に、私は「故郷がない」という現実を突きつけられた。
今にして思えば、これに私の「自閉スぺクラム症」という発達障害の特性が手伝っているのか、未だに引きずっている。
高校卒業後、私は秋田県の私立大学に進学するが、ここでもやはり地方の私大、ということもあり、主に東北地方の「どこかの、地元に根差した、れっきとした生まれ故郷がある学生」の中にいた。
農村部出身の学生などには、やはり私の生い立ちは、びっくりされた。
その後、20代中盤から本籍地の岩手県に住んだ。
周囲の愛郷心にはここでも常に圧倒され、羨ましく思った。
そして、ずっとコンプレックスが募っていた。
今私は、首都圏にいる。
ここにいれば、「土地のものではない」コンプレックスには、そんなに直面しない。
しかし、どうしても長年のコンプレックスは、いかんともしがたい。
地方に「生まれ故郷」があって、その土地よりも大事なものがある・・旨の発言をする人には、心の中で意味不明な闘争心が湧きたつことがある。メラメラと。
「ふざけんな!!俺は故郷がないから、どれだけ惨めな思いをしてきたか、そして生まれ故郷があるということが、人にとってどれほど最高の幸せであるか、分からせてやる!!」
・・かなり過激な表現だが、「センサー」が発動すると、本当にこういう感じに本当に思う。(実際、このことで人に説教したこととかは特にない)
本当にこんな感じで、ずっと思っているし、簡単には治らないだろう。
また、岩手にいた時、「すっかり岩手の人だね」と言ってくれる人たちもいたが「俺自身がそう思うことは、岩手に生まれ育ち、岩手と言う土地だけを愛して生きている人たちに対し、失礼千万なことだ、だから俺は絶対にそう思ってはならない、生まれ故郷がないから、生まれ故郷がある人たちに負けないように、頑張らなけれならないんだ」
こんな意味不明なモチベーションを、ずっと心の中に燃やし続けていた。
しかし、このことをどっぷりと考えているとき。
当然ながら、今でも全然楽しくない。建設的ではない。
人がどう思おうがやはり自分は自分でしかないし、いつまでもこだわっていてはあの中学の冬休み明けに、私をバカにした連中を見返すことは出来ない。
ずっとこのこだわりを棄てられずにいれば、私の周りから人も去って行く気もする。
考えが一直線になると、自分の考えを人に押し付けたくもなるし。
これから大きく羽ばたくために、まだ時間かかるかもだけど、2025年は
「生まれ故郷がないことへのコンプレックス」を棄てていく、土台を作りたい。