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津久井やまゆり園事件を考える集いに参加して 

序文
皆さんは8年前の今ごろ、世間を震撼させる凶悪事件があったのをご記憶だろうか。というか、ご存知だろうか。

障害者入所施設に元職員の男が押し入り、入居者19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせたという凄惨極まりない事件であった。

私はこの施設の事は知らなかったが、すぐ近くの相模湖や津久井湖は行ったことがあり、「あんな長閑なところでこんな事件が!」とも思ったし、自分自身、この施設から遠くない八王子市で知的障害者福祉に携わっていたことがあり、その観点からも素直に驚いたし、何より今や自分自身も知的ではないが、障害者の手帳を所持している。

はじめは、何がなんだか分からなかった。

しばらくして、私の周りからも次々に、多くの危機感を持つ声が上がった。

私は、多分、いろんな立場の人がいると知れたという意味で幸いなのだろうが、様々な「ハンデ、困りごと」を抱えた人と今までの人生で交流してきた。自分が精神・発達だからそうした困りごとを抱えた人は多く知り合いになってきたが、知的障害の人に関わる場面も多かったし、車いすの知り合いも何人もいるし、視聴覚にハンデのある知り合いも大勢いる。「立場の違う人」と触れ合う機会は多く恵まれていたように思う。

みんなそれぞれの立場で、思いも視点も違うし、そこをなんとか分かり合って学びあって、譲り合っていかなければならないと私は思っている。

必ずそうともいかず、自分とは違うハンデの人をマウントしたり、陰口をたたくような人も残念ながら少なからず見てきた(私自身も標的にされた)

しかし、この事件の時は、「障害者」と言われる人たちは、みな同じように、同じことに怯え、不安を感じたのではないか。

自分たちは生きていてはいけないのか。

いつか自分も同じように刃を向けられるのではないか。

今回は、事件からかなりの年月が経ち、風化というか記憶にない人も多くなり、その中で、本当は多くの事をこの荒んだ現代社会に突きつけたこの事件を考える集いに、東京都日野市まで28日に行ってきたので、感じたことを踏まえ報告する。

1、(つかめない事件の背景

まず事件の背景を丹念に取材して、渾身の想い出制作された映画の上映会に出て、その後の座談会に出ても、この事件の「本当の闇」はつかめない。

犯人の植松は、教師の父とマンガ家の母の間に生まれた一人っ子で、一見した育ち方は「普通・一般」と言ってよいだろう。

(ただ、小学生の時に、障害者をミサイルに括り付けて相手を攻撃すべき、という作文を書いて、いつもは丁寧にコメントする担任がその時だけノーコメントだった、という話は聞いたことがある)

映画を観て、座談会に出ても、結局、何が彼をある種の「狂気」に駆り立てたのかは、やはりどうしても、答え、それに近いものも見えてこなかった。

しかし、1つ、自分なりに確信を得たものがある。

これは、この不寛容な現代社会が作り出した惨劇だったのではないか?と。

先に言っておくと、19人の命を奪い、多くの家族もどん底に突き落とした、その植松の行為は言語道断、それ以下である。

相手が障害者だからとかではなく、勝手に奪ってよい人の命なんて断じてないのである。

私自身、今までの人生において殺意を強く覚えた相手はいたし、人生に絶望して本気で自死を考えたことも1度や2度ではない。人間だから、それである意味、当たり前と思っている。でも、私が本能のまま、どちらかを実行に移してでもいれば、それは多くの人が悲しみの涙を流しただろう。いまどき古臭い、と思う人もいるかもしれないが、それほどまでに人間を含めた生物の命は重いと思っている。(余談だが、この考え方のせいか、私は蚊ですら始末するのに慎重をきわめてしまうので、紛争のある国では生き残れないタイプだろう)

話が逸れかけたが、大手メディアが報道しない、植松の隠された闇、は多くあるようだ。

親とも疎遠だったようで、なぜか親が実家を放棄して植松がそこに住んでいたらしいし、裁判では植松の両親からの供述調書が「握りつぶされていた」ことを昨日知ってびっくりした。闇は相当に深そうだ。

そして謎と言えば、最大の謎は植松が一度犯行予告などで通報されて精神科の閉鎖病棟に措置入院になったにも関わらず、2週間で放免されていること。知っている方も思うが、「精神科閉鎖病棟への措置入院」というのは、これは医療側や行政側としては「本当に、最後の切り札」という感じで、強制力が強い。もちろん、通常、2週間では解除されない。ここにも表に出ていない闇はありそうだ。

また、この事件を調べてきた筋が書いた本には書いてあったので知っていたが、植松がやまゆり園の職員だった時、最初はやる気に燃えて働いていたが、先輩職員の入居者に対する暴力やぞんざいな扱いをみて、疑問を呈したところ、「お前も2、3年やればわかるよ」と返されたという。

そして、どこに分岐点があったのかは分からないが、植松が「狂気の世界」に染まってきて、その頃に先輩職員に「利用者を殺したくなる」というようなことを話したら、「法律が許さないよ」と言ったという。

ここがポイントだったように私は思う。

私も、前に書いたことがあるが、自分自身の内なる差別感情には絶えず苦しんでいるし、葛藤していることも多いが、植松の場合、有体な言い方かもしれないが「どんな人でも人間であり生きていくべきもの」と教えてくれえる人がいなかった、そんな気がする。

だから、未だに謝罪する対象は「被害者の家族」だけ

「傷つけてしまって、俺の思い込みであなた達の人生を勝手に終わらせてしまって申し訳ありませんでした・・」と、自分が殺めた人たちへの謝罪は未だにない、それどころかいまだに獄中からメッセージを送り続けている。

いったい、この社会とは、なんなんだろう。

深い、考えこみの渦に、私自身はまった日だった。

2、(今後に向けて

先述したが、私自身、結構な差別意識があることにも気づいてもいる。

植松は「強い遺伝子」なるものをひたすら信奉し、何人かの国内外の政治家に心酔し、犯行を成功させるためにも筋力トレーニングに打ち込んでいたという。(ファンには申し訳ないが、かの三島由紀夫と思考回路が少し似ているかも、と思った)

私の場合は、逆に「平均的な人間」への憧れが異常に強く、なにか失敗すると「オール3の平均的な人間であったなら・・」とすぐ考える。

日本社会は未だにそうした平均的な人が受け入れられやすいが、このやっかみと僻みの奥には「自分を含めたオール3的平均的な人間ではない人への侮蔑」が隠れているのは、自覚している。そしてまた苦しくなる。

「正答」はなかなか見つからないだろう。

けど自分にふさわしい道を見つけるために、これからも生きて生き抜いて、歩んでいこうと思う。



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