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WD#41 雑書


自販機 
 先日、塾から帰る時に飲み物がないことに気づいたためそこにあった怪しげな格安自動販売機で100円のよく分からない温かいお茶を購入してリュックに入れた。
 すると、その自販機からなにやら「ピピピー」という音がし、何かやらかしたかと思ってみると、メーターでルーレットが発動していた。こういうのは大体当たらない。
 そうしてしばらくみていると、下二桁に7が揃った。嫌な予感がした。ここで当たっても私はそれを持て余すことしかできない。
 すると、その予感は的中、7が3桁揃ったかと思うと「もう一度好きなボタンを押してください」みたいな雰囲気を醸し出したため、目についたやや大きめの冷たいカフェオレのボタンを押した。それが受け取り口にゴロンと出てきた。
 そこに嬉しさなどはない。どうしようかという気持ちが勝つ。ひとまずカフェオレをリュックの塾の教材などが入ったエリアに投げ入れ、蓋が空いたら終わりだなと思いながら、温かいお茶を飲んで家に帰った。
 家で飲んだそのカフェオレは驚くほどに甘かった。


階段
 駅のホームや、学校にある階段を上るときによく一段飛ばしをして上るのだが、何度も上ったことのある階段だと、最終的に一段余らすことのないように一歩目で帳尻を合わすようにしてしまう。
 例えば、普通に一段飛ばしで上ると一段だけ最後に上る羽目になる場合は、一番最初に一段だけ上ってから一段飛ばしを開始するようにしている。その方がなんかスッキリするからなのだが、たまにそのアジャストメントを忘れて一段余らすと「うぅー」と思う。


バレンタイン
 ある日、学校に行くとバレンタインムードだった。というのも、バレンタイン当日が休みなので今のうちに清算してしまおうという意思があったのだと思われる。
 その精算は主に昼休みに行われたのだが、それはそれはまあすごい騒ぎ。全員が狂ったかのようにチョコを配布し始めていた。
 私もクラス全員に配られるタイプの「配布チョコ」をいくつか得た。
 しかし、私はこういう空気感が得意ではない。なんだかどっかに行くのもアレだし、かといって貰ったチョコレートを頑なに拒むのも言語道断である。この時間において、我々はその場でただ受け身を取ることしかできないというこの不自由さがなんだか息苦しい。
 こういうと「強がっている」とか言われそうなのだが、本当にそういうわけではない。ただ単に息苦しいと思ってしまうのである。


数学
 数学が好きだ。これは最近になって好きになったというわけではなく、かなり小さい頃から、その時に関しては算数が好きだった。
 そして、理由はかなり明確である。私は小さい頃から問題を作るのがとても好きで、ノートに自分の考えた問題を記すほどには作問に手を染めていた。その作問精神は今でも顕在で、化学部が暇な時には部員らに一方的に作った問題を出しては優越感に浸っている。
 作問ができる、ということは、その分野のことを理解していることと等しいと言っていい。つまり、自分で問題を作れるようになればその分野を理解できたということなのだ、と私は思う。皆さんも一度作問してみてはいかが。
 しかし、数学が好きと言うと、「気持ち悪い」などと言う輩もたまに現れる。そんな輩に私は一言かけたい。じゃあ君、電車が好きって言う人にも気持ち悪いって言える?と。
 数学好きに気持ち悪いと言う人は、必ずと言っていいほどに数学に対する嫌悪を抱えている。電車に嫌悪を抱いている人はそういないから、電車好きに気持ち悪いとは言わない。
 自分が嫌いだからって、それを好きな人を罵る、そんなエゴないだろ。
 そして、そういう人に限って、「数学ってなんの役に立つの?」とか言う。この質問、そろそろやめませんか?
 数学に実用性を求める人で、数学が得意な人は聞いたことがないし、多分いない。それほど、実用性とは数学の世界において排除すべき概念なのである。
 皆さんがしているゲームとか、みているSNSとか、それって将来なんの役に立つんですか?と聞かれているようなものである。常に実用性を求めて生きている人間は、さぞ行きづらいんだろうなあ。
 楽しく生きるには、こういうような鵜呑みにしなきゃいけないことだってある。


マインクラフト
 高校入試が終わった頃、まだ人生でやったことのなかったMinecraftに手を染めた。ゲーム自体はあまりにも有名で説明もいらないだろうが、私自身あまり興味がなくてやってこなかった。
 Minecraftは基本自由に色々できるゲームだが、一応クリアという概念があって、そこに行き着くにはかなりのステップが必要になる。ここで文章にしてみよう。
 まず鉄を採掘し、それで作ったツルハシで今度はダイヤモンドを地下深くで採掘。次にそのダイヤモンドで作ったツルハシでないと掘れないブロックをゲットしたら、それをゲートの形に並べて着火し門を作る。その門をくぐった先の別世界で要塞を探し、そこのモンスターを倒さないとゲットできないアイテムを入手。元の世界に戻り、そのアイテムを使って別のアイテムをクラフトし、それを使って地下に眠る別の要塞を探す。その要塞にあるゲートを通った先にある世界にいるドラゴンを倒せばクリアとなる。
 こうして文で見ると、異常なステップを踏まなければクリアできないことがわかる。そういう意味ではとてもやりごたえのあるゲームだ。
 ちなみに私は最初の方の要塞がまだ見つかっていないためクリアしていない。
 ダイヤモンドのツルハシを入手し別世界に行くまではかなり早かった。しかし、そこで要塞が全く見つからないまま一年経とうとしている。誰か代わりに見つけてくれ。
 そんな状況下なのに、要塞探しが嫌になったばかりに自動サボテン収穫機や自動サトウキビ収穫機などがどんどん増えていく。しかし、例えどんなにサボテンを入手しても要塞は見つからないのである。


Kis-My-Ft2
こういう名前のジャニーズがいる。これは皆さんもおそらくは知っているであろう。しかし、私はこのグループ名を知った時からなんでこんな名前なんだろうとずっと疑問に思っていたのだが、前に解明された。
 どうやらメンバーの頭文字を取ってアナグラムを実行した結果、こうなったらしい。2は二階堂の2だとか。
 つまり、メンバーの名前によっては「Pay-Much-Money4」とかになっていた可能性も秘めていることになる。まだ運が良かった。


レッサーパンダ
レッサーパンダという動物がいる。「パンダ」という名前がついているからには、あのパンダ(ジャイアントパンダ)と同じなかまなのだろう。
 聞く話によると、もとは同じ「パンダ」という得体の知れない動物で、それが進化してゆく過程でその中でもかなり大きい方を今のパンダ、すなわちジャイアントパンダと呼び、小さい方を「より小さい」みたいなニュアンスの「less」に更に比較級の「er」をつけて「レッサーパンダ」と呼ぶことにしたのだそう。
 そんなに名前をつけられてしまったレッサーパンダの気持ちも考えてあげて欲しい。もとは同じなのに、名前でこんなに格差がついてしまって良いのだろうか。
 しかし、先日なんとなく見ていたニュースで動物園のレッサーパンダがもらったリンゴを食べているところが放送されていて、とても可愛かった。ちゃんと彼らは名前に負けない活躍をしている。見守ってあげて欲しい。


奇跡 
 「こうしてクラスメイトの人たちと会えたのは実は〜を…する確率と一緒で、そう考えるとこれはとてもすごいことなのです」というような話をよく聞くが、その度になんか腑に落ちないなと思う。
 その理由を今から書こうと思っているが、もしかしたらめちゃくちゃ嫌なやつだと思われるかも知れない。そのあたり我慢して聞いてもらいたい。
 まず、クラスで友人と出会うことがとてつもない奇跡と言うには、例えば我々が生まれた時にランダムに日本全国から40人選ばれて、その40人がたまたま同じクラスに集結した、くらいの稀有な事象が求められる。
 いたって近所に住んでいる人たちが近くのいくつかの高校から一つ選んで入学し、そこで同じクラスになった人たちはそこからコミュニケーションをとって仲良くなり、最終的に友人と呼ばれるものになる。
 と考えた時に、これって奇跡ですか?
 友人という状態でクラスに集まるのではなく、赤の他人として一つのクラスに集まり、そこから友人になったとすると、「クラスで友人に会える確率」は100%であり、当然のことなのではないか。
 この感覚を言葉にするのは難しいが、ざっくりまとめると、友人とクラスで出会うことは確実に起こることで、偶然に友人とクラスで出会ったというのは適切な表現ではないということになる。
 実際に文章にしてみてあんまり自分では伝えられた気がしないが、とにかくクラスで友人と会えたのは奇跡ではない。それだけを伝えたかった。なぜかって?理由などない。ただ単に嫌なやつだと思われただけである。
 じゃあなんで書いたんだろうな。もう何にもわかんなくなっちゃった。



【今週の素人星座占い】

一位 ふたご座

電車で全く知らない駅で降りてみてその辺りを散歩しているとなにやらよさげな小物店を見つけて入店。そこにあった針金で作ったシマウマの置物に惹かれて購入するも、レジに持って行った時に12000円だと分かり、引くに引けずそのまま買ってしまう。家の玄関に置いてみるも馴染まないが、大金を払ったので義務的に置くことになる。それ以外は順調に進む。


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