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WD#121 文庫本讃歌

電子書籍と文庫本はよく対立関係に置かれる。

本である、という事実は同じであるが、媒体が決定的に異なっている。前者はデジタルデバイス、後者は紙。

昨今の世の中はテクノロジーが我々の身の回りを蝕んでいるように見える。自動車が自動運転になったり、アナウンサーもAI音声が代替していることが珍しくない。0と1の組み合わせで、世の中がリモデルされつつある。

本だってそうだ。あの嵩張る物体は液晶の中の同一次元に格納され、本来なら本一冊も入らないような体積に、無数の本が存在できている。

だけど私は、なんだか味気なくないですか、と思う。確かにいつでもどこでも、実物を持つことなくスマートフォンなどでたくさんの種類の本を読めるのはかなり有益だし、普通の文庫本より安い場合もあるだろう。

ただよく考えてみてほしい。あなたが本に求めているのはそんなことなのか、と。厄介な高齢者のようなことを言うが、紙だからいいということも少なからずあるんじゃないか。そして、それが「本」というのならなおさら。



私が紙の本(以下文庫本)を好む1番の理由はその質量にある。文字しか書いていないのにその質量が“ある”のってすごいと思いませんか。

別に中に組み立てたら人型ロボットになるパーツが同封されているわけでもないのに、1人の人間から生まれた文字だけでその質量を有しているという事実は果てしなく不気味だと思わないだろうか。

本を書く人間にまともな人間はいない、というのを聞いたことがあるが、本という物体を持つとそのことがよくわかる。よくもまあ、こんなに日本語を連ねられますね、と。

そしてそれが「物語」なら、その狂気は跳ね上がる。言ってしまえば、「物語」は全て嘘だ。完全にその人の中にしか存在していない世界の事細かな描写が、何百ページにも渡って繰り広げられている。本当に狂っていると思う。ただ、その“狂い”か面白いんだ。

狂気という言葉を安安と使うのは少し憚られるが、本を書く人には多分使ってもいい。それほど本というものは異常なシロモノだということだ。

文庫本一冊分の文章を書けるだけでもかなりおかしい(特に京極夏彦などは)が、その狂気が内容まで入ってくるともうたまらない。

私は中学生の時朝読書で江戸川乱歩の短編集を読んでいたが、その時本当に「この人はおかしい人なんだろうな」と思った。普通に毎日を繰り返している人間が、球体の鏡の中に入って頭がおかしくなる人の話を書くわけがない。



そのような狂気が感じやすいという点がまずひとつ、文庫本が好きな理由である。そしてもうひとつ、時間という点で考えてみたい。

以前にも書いたが、私は文章を読むということは時間を解(ほど)くことだと思っている。この表現に関してここでもう1回しっかり説明するのはやや面倒なので、こちらのWD#90を読んでください。

まあざっくり言えば、文章を読むということは、その書き手がその文章を書くのに費やした時間を追体験することなのではないか、ということだ。

そういう意味で、文庫本は電子書籍より時間の解き甲斐がある。電子書籍はおそらく現在のページ数とかがデジタル表示されるだけなのだろう。その反面、文庫本での時間経過はかなりわかりやすい。なにしろ、触覚から感じ取る物理的な量があるから。

1ページ、また1ページと繰っていくほど、右手で押さえる頁が増え、左手で押さえる頁が減っていく。たまに我に返って右手の感触を確かめてると、「もうこんなに読んだのか…」としみじみ思う。その感覚は動画を見る時のシークバーに似ている。その位置という基本的物理量が、そこまでの時間の経過を表しているのだ。

最初は開いたまま置くと自然とパタンと閉じてしまう状態だった本が、読み進めていくにつれて自然と閉じることなく開いたままの状態で置けるようになる感動、これは本が分厚くなればなるほど大きくなる。

そして残り数ページになってきたときの左手の寂しさと、この“薄さ”でどう物語が終わっていくのかということへのワクワクドキドキした気分、これはやっぱり文庫本だからできることなのではないだろうか。



以上が、私が文庫本を推す主な理由である。結局客観的事実などひとつもなくただ単に私の好みの話になってしまったが、もうそれでいいんじゃないですか。あくまで本っていうのは娯楽なんだから、そこまでナーヴァスに議論しても仕方がないと思いませんか。

あと単純に本屋が好きというのもある。電子書籍じゃ味わえない本の圧迫感と、何の目当てもなく本屋に行って興味のある本のあらすじを読んでみるという行為がかなり好きだ。最近もたまにしている。

私は映画が好きな上に映画館という空間が好きだが、それと同じようなことが本にも言えるのかもしれない。




『世界でいちばん透きとおった物語』という本を読んだ。少し前から気になっていたのだが、こないだ書店でたまたま見かけてちょうど良かったので買った。600円くらいだったかな。

日中にあまり読む時間は無かったので、寝る前に20分くらい読んで寝るというのをやっていたら1週間で読み終わった。かなり読みやすかったし、内容もわかりやすい小説だった。

ざっくりのあらすじとしては、有名な小説家の不倫相手の子として生まれた主人公が、父親の訃報をきっかけに父親が晩年に書いていたが発表できなかった『世界でいちばん透きとおった物語』の原稿を探すという話。

不倫相手の子なので主人公は父親と全く会ったことがない中、いろんな人に原稿の話を聞いていく過程で「父親はどんな小説家だったのか」というイメージも同時に作り上げていく話の流れがかなり面白かった。

そしてなにより、私がさっきまで書いていた「文庫本」の良さ、それがこの物語には異常なほどに詰まっている。

それ以上にアレコレ言うと、全てがネタバレに繋がってしまいそうな気がするのでふんわりした表現になっているが、とにかくこの小説はすごい。あまりにもすごい。

読んでいて手が震えたのは初めてかもしれない。最後の数ページを震えた手でめくりながら、「おいおい嘘だろ…」と頭の中はパニック状態だった。そのせいでそのあとあんまり眠れなかった。

この本は電子書籍がないらしい。読み終わった人の感想としては、そりゃそうだろうな、と思う。まだまだ「紙」じゃなきゃできないことがあるんだ。こうしたテクノロジーの進歩の旋風に負けることのないクリエイティビティが存在しているんだ。世の中まだ捨てたもんじゃない。

電子書籍がない理由、そしてこの作者の並々ならない狂気を存分に味わっていただきたい。そう長い話じゃないので、是非書店で。






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