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14歳でくさいと言われたわたしが恋人と暮らすまで


あれは忘れもしない中学2年生のときの、お風呂場でのできごとだった。
小学6年の弟と久しぶりに一緒にお風呂に入った。
湯船の中でしゃべるわたしに弟はこう言った。

「ゆう、口臭いよ。」
「え?さっき夜ごはん食べたし、食べ物の匂いだよね?」
「ううん、ちがう。普段からけっこう臭いよ。」
「え?本当に?いつも臭いの?」
「…うん。」


弟はしゃべりまくるわたしと目を合わせずそう言った。
家庭でもムードメーカーの明るい弟が、冷たくそう言って先にお風呂を上がっていった。
本当に臭くて仕方ないんだよお前と言われたようだった。


水位の下がった湯船のなかで1人どん底にたたき落とされたような気持ちだった。



今まで気にしたこともなかったし、指摘されたこともなかったけどそうだったの?
食べ物の匂いなら歯を磨けばいい。
でも磨いても臭いってこと?
どうやって治せばいいの?
ていうか明日からどうやって人と話せばいいの?



あわてて湯船につかって両手で肩をさすり、そのまま両手を口元にもっていく。
はーっと息を吹きかけてみても、自分ではわからない。

そうだ、お母さんに聞いてみよう。
弟が日頃の恨みでわたしに意地悪しただけかもしれないじゃないか。



中1の終わりにいじめが原因でソフトボール部を辞めたばかりだった。
わたしをいじめたのは一緒に入部した元親友だった。
めきめきと上達しエースになった親友とは正反対に、わたしはレギュラーから落ちた。
親友はそんなわたしに冷たく当たるようになって、全員を巻きこんでわたしを輪からはずすようになった。
わたしは部活に行けなくなった。

部活を続けてほしがる母と、もう辞めてもいいという父はよく言い争ってて、家の中の空気は最悪だった。わたしのせいだと思っていた。
ようやく部活を辞めれたわたしは少しだけ明るくなっていた。

そんな矢先のできごとだった。


お風呂から上がると弟はリビングにいなかった。

「ねぇお母さん、わたしって口の匂いする?臭いの?さっき弟にそう言われた」

「え??うーん、たまに食べ物を食べたらするんじゃない?
だれでも匂いがするときはあるよ。あんたは気にしすぎよ」

なんかすっきり否定してくれない。やっぱりするのか。
まったく無臭だと思っていたわたしはその返事にもショックを受けた。
なんだかお母さんの言い方にも気を使っているようなよそよそしさを感じた。

わたしは中学2年生だった。
いろんなことを大げさに受け止めたりめちゃくちゃ被害妄想をする時期だった。

わたし、口臭いんだな。
そう認めるとなんだか口の中が酸っぱくなって、カラカラに乾いていくようだった。
本当に本当にくさくなった気がした。


その夜の記憶や、翌日の記憶はよく覚えていない。

でもその日を境にわたしは変わった。


朝は歯磨き粉をたくさんつけて「うわ辛っ」と思いながら口の中をあわあわにして、ぶくぶくうがいして、はーはーと息をチェックして、ミントの香りでスースーする口と、ひりひりする舌で「これで絶対に大丈夫」と家をでた。


一緒に登校する友達と並んで歩いても、道幅ギリギリまでその子から離れた。
これだけ離れれば大丈夫だろう、と。

おもしろい子でわたしたちはよく笑っていた。
だけど不自然な距離に気づいたその子はわたしに近寄ってきた。
わたしは少し早歩きして今度はななめになるようにした。
今度はその子は早歩きでついてきた。
それでも、わたしは話すときも笑うときも口元から手を離せなかった。
朝、これで大丈夫だと思った口の中も、なんだかいやな感じにねばねばし始めていて、

「これはまずい。あんなに磨いたのに。きっと今また臭い」と焦ってきた。
わたしはまた道幅ぎりぎりまで離れて歩いた。

友達はもう無理に寄ってきたりしなかった。
ちょっとさびしそうな顔で距離を守ってくれた。


学校では友達と話すときもなるべく体を離した。口元からは手が離せなくなった。
みんな最初は不思議がっていつも通りの距離に近づいてきてくれるけど、わたしの息を鼻で吸うと、足が止まったり鼻を手で覆ったりしている、ように見えた。


「やっぱり臭いんや。そうや、なるべく口を開けんようにしよう。それで早口で話せばいいんや。そしたら臭いが漏れないはず」


そう工夫してぼそぼそ早口で話すと、


「え?なに?聞こえないよ笑」


とみんなが余計に近づいてきて失敗だった。
やっぱり物理的に距離をとるのが1番いいと思って、みんなが1つの机の周りに集まっておしゃべりしていても、その隣の机から輪に入った。

1人だけちょっと離れたわたしを見て、

「なんでそんな離れるん?笑」
「まぁー、いいからいいから笑」

そんなやり取りをして、でもその距離感にもいつしか突っ込まれなくなった。


口の中はやっぱりねばねばしていて、とくに給食のあとは歯磨きもできなくて最悪だった。
みんな、なんで臭くないんやろ。同じ条件なのにわたしだけ臭いなら、もう「臭い人」なんやろうな。一生、こうなんかな。
あ、今また口の中ねばねばしてる。




中学3年生になって、クラス替えをして友達が変わって、でもわたしの口の臭いへの意識はまったく変わらなかった。



その頃にはいつも臭っている気がして、口をぎゅっとつむって、そしたら鼻からにおいが漏れている気がして呼吸もしづらくなって、気づくと下ばかり向くようになっていた。

本当は話すのがすきで、笑うのもすきで、笑わせるのもすきで、明るい性格だったはずなのに、なにをしてもにおいが気になって、思うように振る舞えなくなっていた。


家でも家族とすれ違うときに息を止めたり、なるべく話さなくなったり、話すとしても距離をとった。

どんどん暗くなっていくわたしを見て、お母さんは


「家ではふつうに話しなさい!!」
「距離をとるのをやめなさい!!」

と何度も言った。時にはわたしの腕を無理やり引っ張ってふつうの距離に戻そうとしていた。お母さんは必死にわたしを前のわたしに戻そうとしていた。
でも、自分が臭いと思われることがなによりも怖くて、わたしは半狂乱で


「おい!!!さわんなよ!!!」


と叫んでいた。


お母さんもなにかを叫び返していた。


お母さんの気持ちは痛いほどよくわかっていた。
お母さん、わたしもふつうに戻りたい。
苦しい。



ある土曜日、お母さんはわたしを口臭外来に連れていった。
そんな外来が世の中にあるんだ、と思いながら行ったその外来で、歯医者さんに口の中を診てもらった。
なにか原因があって、薬か何かで治ってくれ、と祈った。

「口臭の9割は口の中の環境が原因で、残る1割は内臓に原因があるとされています。
歯並びは少し悪いのですが、口の中はおおむねキレイで虫歯もなく、とくに問題はありません。
もちろん内臓に原因がある可能性もありますが、お若いので限りなくゼロに近いです。

それよりもわたしが気になるのは、お嬢さんの人への接し方です。

ここに入ってきたときからずっと、お嬢さんのことを見ていました。
ずっと口元に手をあてて下を向き、ボソボソ話す。人を避ける、距離をとる。

気にしすぎているんです。完全に心の病気です。」


先生はわたしを見て話していたけど、わたしは目をあわせることができなかった。
先生とお母さんがなにか話していた。
きっと、明確な原因も解決法もない。

わたしはずっとこのまま人とまともに話せず、キスできず、それ以上もできず、まだよくわからないけど人生の喜びみたいなものを感じられないんだろうか。


後日、先生から手紙が届いた。
お母さんじゃなく、中学生のわたし宛だった。
給食のあとのうがいの仕方と、ベロ回しをして唾液を分泌する方法が書いてあった。
ぜんぶ手書きで書いてあった。
絵や図まで描かれていた。
先生ありがとうと思った。

その手紙をファイルに入れて持ち歩いた。
初めて精神論以外で文章にしてもらった解決策だった。
うがいを試すと、直後はよくなっても、やっぱり口はねばねばしてきた。
そうでなくても、うがいなんてしてない同級生たちがなんでこんなに無臭なんだろうと思っていた。
わたしも臭くない人に戻りたい。
なにも知らなかったときに戻りたい。



中3のクラス内ではわたしは女子のグループにはきちんと属していたけど、イケてる男子グループから嫌われ始めていた。
発端は集会のときだった。
なるべく息を止めていたけど、隣に並んでいたイケてる男子が


「あいつなんか臭いんだよね」
「えっマジ!?臭いとかありえねーきもっ」


と会話が盛り上がっていたようで、すれ違うと舌打ちされたり、「くっせー」と言われた。わたしはターゲットになっていた。


集会のときに臭いわたしの横に並ぶのを嫌がった男子たちは、じゃんけんをして負けた人をわたしの隣に置くようになった。
彼らの声は大きくて、負けた人は心底いやそうにわたしの隣に並んで、移動で歩く時も集会で座っているときも、少しでもわたしから離れられるよう距離をあけてきた。
たまに気づいた先生が注意していたけど、先生がいなくなるとまたわたしからなるべく離れようとしていた。
彼らは笑っていて、楽しそうで、真横にわたしなんていないようだった。
ここにいるのに。


そのときはもう自分が臭いのは思い込みじゃなくなっていた。事態はとても悪化していて、説明できなくなっていた。


一部の女子からも、小テストの範囲を聞かれたから教えてあげると、あわてて席に戻ったその子は



「なんか臭かった!やっぱり噂は本当なんだ…」
「え?うそぉー本当に?」


なんてコソコソ好奇に満ちた目で話していた。


でもそんなとき、同じグループの女子たちは、話をそらしたり、わたしの耳に入らないようにしてくれた。
わたしが必死に生きていることを認めてくれる人がいる。そのことに救われていた。

だけど、その頃にはもう口臭だけじゃなく体臭も気になっていて、体育のあとの汗を気にしだすと気が気じゃなくなり、全身からあぶら汗のようなものが噴き出してきた。


後ろの席の男子が、


「お前さぁ、あんま言いたくないけど変な臭いするよ?臭いよ?」


と言ってきた。
大きな声で、うんざりした様子だった。
周りも振り返っていた。
そいつはクラスで1番勉強ができて、県内1の進学後にいった。


その頃お母さんから口臭に効くサプリメントを買ってもらった。
仕事の合間に探して買ってくれたらしい。
バラの花が描かれた、安っぽい、いかにも怪しそうなサプリメントだったけど、わたしはよくなると信じてきっちり飲んだ。本当はよくないだろうけど、ちょっと多めに何回も飲んだ。

だけどとくに効果はなかった。ある日新聞にその会社のサプリメントに効果がない、という小さな記事がでていた。

お母さんは悲しそうに

「もうやめよっか。」

と言った。



わたしは中学校からの帰り道、いつも高い建物を探していた。
飛び降りたら死ねるくらいの高さの。
そんな建物はどれだけでも見つかった。
つらくなったらいつでも飛ぶ、それだけが心の中の選択肢だった。
生きるためにその選択肢をいつも心の中に置いていた。
ふしぎと中学校から飛ぼうとは思わなかった。
死ぬとしてもここではいやだと思っていた。
がんばる負けない、と、終わらせたい、自分じゃなくなりたい、この人生から降りたい、が同居してよく心が揺れ動いていた。

でもいつもお母さんの顔が思い浮かんだ。
ただでさえ悲しそうなあの顔を、これ以上悲しませたくはなかった。



中学最後の合唱コンクールが近づいてきていた。

給食後と放課後にみんなで合唱練習をしなければいけなかった。



歌えなかった。
歌えないわたしを、横に並んでくれた友達は心配そうに見てくれていた。

だけどそんなわたしを男子はめざとく見ていて、聞こえるように舌打ちしたり睨みつけてきて、あげく担任にも告げ口したようだった。


そいつは中3のガキのくせに中2の彼女ともうセックスをしていると噂があって、彼女のイニシャルのネックレスをこっそりつけていたり、赤い派手な肌着を学ランからわざと見せたりしているようなやつだった。
なんでだよ先生。
こいつを注意しろよ。


放課後呼び出されたのはわたしだった。

「わかってると思うけど、なんで歌わないの?男子にいろいろ言われてるよ。
理由があるなら別だけど、ただ歌わないならおれも守ってあげられないし、言われっぱなしになるだけだからな。」

先生はそれだけ言った。
話しきったら持っていた日誌にさらさらとペンでなにかを書いてさっさと次の日誌を開いていた。
この人はちゃんと話を聞かないし、聞いてない。言いたくない。
けどここで主張しないとよけいに状況は悪くなると思った。

「わたし、口が臭いんです。」

「……え!?」

「………だから、だから歌えないんです。わたしも歌いたいです。でもわたしが歌うと周りが…くさいから…嫌がるから…」

のどが苦しくて、最後のほうは声が出なかった。



「おれはおまえを臭いと思ったことはないよ。今もなにも感じないし、大丈夫だよ。とにかく明日から歌えよ。」

先生はたくさんある日誌をわきに抱えて職員室に戻っていった。



次の日から仕方なく歌った。小さく小さく口を開けて。
隣の友達には臭くてごめんって謝った。
いいよって言われた。
あいつも先生もめざとくわたしが歌っているか確認していたけど、しぶしぶ納得したようだった。


わたしたちのクラスは賞を逃した。




合唱コンクールがおわって、高校受験まであと数ヶ月になっていた。
わたしの成績は学年のちょうど真ん中くらいで、それより少しだけ上の進学校をめざしていた。

その頃は休み時間にほかのクラスのイケてる男子も来て、イケてるやつ同士でイケてないやつの情報交換をしていた。


「あぁ、あいつでしょ?きもいね」


こっちを見て笑われたり、そんな扱いにもう慣れていた。もうほかのクラスにまで話が回っているんだ。
相変わらず友達と話すときも、距離をとって口元に手を当てていた。そうでないともう人と話せなくなっていた。


顔も普通。体はぺったんこ。成績もふつう(とくに数学は最低)。部活でも活躍できなかった。ユーモアでみんなを笑わせたりもできない。

しかも臭くて嫌われている。

わたしは受験まで、休み時間も勉強することにした。

みんなとしゃべっても呼吸が苦しくて、男子には避けられるし、生きていても楽しいことがなにもなくて、トイレだけしたらすぐに席に戻ることにした。

そうやって朝休みも、昼休みも、10分休みも、わたしは机にかじりつくようになった。
そんなわたしを見て友達も勉強するようになった。
イケてる男子たちは少しずつ受験モードになる教室の雰囲気を壊すようなことはしなかった。

このとき勉強していたときの記憶はほとんどない。
ただ、口を開かなくていい、だれにも臭いと言われずに済む、だから、勉強するほうがマシだった。




3月にかけてわたしの点数はぐんぐん伸びていき、志望校に合格した。
お母さんはとても喜んでいた。わたしもうれしかった。





県内の高校に進学したわたしは、相変わらず距離をとり口元をおさえながらも、女の子の友達には恵まれた。

中学の制服をぬいだおかげなのか、時間が薬になってきき始めたのか、その頃には気の許せる友達と話すときは、少しだけ口臭のことを考えない時間もぽつぽつでき始めていた。


「あれ?いま口臭くない。唾液がさらさらしてるし、友達も臭そうにしてない。笑ってくれてるな」



だけど中学校のときの噂が高校にも回ってきた。

やっぱりイケてる男子たちが集まって、


「なぁ、あいつ、中学のとき臭くてイジメられてたらしいぞ。」


とひそひそ話をして、水飲み場らへんで大声で盛り上がり始めた。
たしかそのときサッカー部の先輩までわざわざやって来たのだから、わたしの臭い伝説はなかなか強烈だったのだろう。
彼らはわざとわたしとすれ違って、思いっきり息を吸いこんで、


「うわっ!!くっさ!!!」


と言って爆笑して鼻をつまんでいた。


隣にいた友達がきょとんと不思議そうにしていた。
わたしは何事もないように知らんぷりをした。
もうすっかり慣れきっていた。



高校時代は、女の子の友達をたくさん作ることにした。
においを気にしてリーチはとりつつ、少しずつ少しずつ気の許せる友達には「ふつうに話せる」ように近づいたり、口元を手で覆わないように努力した。


わたしは普通になりたかった。
今はこんな風だけど、こんなわたしだけど、どんなに臭いと言われても、嫌なことを言われても、いつかはだれかと愛しあいたかった。

大人になったらここじゃないどこかへ行って、だれかと出会って、ふつうに話して、笑って、キスして幸せになりたかった。

そのために本当に1歩ずつでいいから変わりたかった。
わたしは17歳だった。



高校3年生のとき、他のクラスの男の子に自分から声をかけた。
背が高くて色白の、理系クラスの子だった。
おとなしそうで、優しそうだな、と思った。


恥ずかしいからメールでやりとりをして、何回かこっそり会って、わたしから告白をして付き合うことになった。


ちゃんとわたしにも彼氏ができた。


彼と話すときは、ドキドキしたけどあまり緊張しなかった。


「ねぇ、中学のときのわたしの噂話とか、人の噂話とか、聞いたことある?」
「え?全然ないよ。どうしたの?」
「ううん、大丈夫、なにもないよ。」

心底ほっとした。
だけど言えなかった。
言うとわたしはまた中学のときに戻ってしまう。
彼と話すときは、こっそりカバンの中に入れていたガムや飴を大量に食べてごまかしていた。

イケてる高校生じゃなかったわたしたちは、校門から堂々とは帰らず、しばらく進んだ橋の暗いところで待ち合わせして帰った。
それでも幸せだった。

彼の家の近くの公園のはじっこで、初めてキスをした。歯がかちっと当たった。
彼の顔が近くにあった。
幸せだった。


わたしはもう中学のときのことを考えないことにした。
この人は、わたしを臭いと思っていない。
そんな人の前でなら、わたし、少し口の中の状態もよくなっていて、ねばねばしてない。
もう、思い出さない。考えない。

少しずつ幸せになっていくんだ。



彼は第一志望の大阪の大学に合格した。
わたしは県内の私大に行くことにした。

わたしたちは大学1年生のGWくらいまで遠距離をがんばったけど、お別れすることになった。


幸い大学生というのは出会いが多かった。
中学や高校までのあの独特の男女の垣根もなくなり、性別問わず多くの友達ができるようになった。

制服を脱いで私服になり、中学や高校時代のわたしを知る人がいないこの大学で、わたしはもう中学時代の自分を忘れよう、と改めて思った。

相変わらず話すときは距離が必要だったけど、たくさんコミュニケーションをとって、大学には歯磨きセットを持参して、気になったら気が済むまで何度も磨いた。
大学では「あいつくっさ」みたいないじめのような雰囲気は感じなくて、みんなそれぞれ自分のしたいことを探しているような感じだった。


高校生のときはつんつるてんだった体は、大学1年の18歳ごろ急に丸みを帯び始め、体のラインがなだらかに出るようになった。

貧乏学生だったわたしは奨学金を借りて、自転車で通学した。
坂道の上り下りで脚の筋肉は鍛えられて、しかも汗をかくので短パンで通学していると、健康で無防備な体に向けて性欲を持て余した男子学生たちが寄ってきた。


18歳前後というのは、わたしの体も女子仕様に変化したように、男子もいろいろ装備に変化があって大変だったのだろうな、と思った。


めちゃくちゃ歯を磨いて、うがいをして、はーはー息をチェックして、照れたフリをしながら口元を手で隠し、距離をとりながら話すクセは治らなかったけど、お付き合いすることも増えてきた。


だけど誰にも言えなかった。
口が臭くて嫌われてたって。
いつかまた噂が回ってきたらどうしようって。
話す必要はない。不幸自慢をする必要はない。
だけどただ誰かに打ち明けたかった。
こんなことがあったのって。

でも、何人かいい仲になったうちの誰にもそんなことは言わなかった。


まだ言うことができなかった。
まだまだわたしはどの人にも内緒ですごく歯を磨いていて、たまに血も出て、その血のように中学の経験もまだぬるっとして固まってなくて、相手の反応によっては、また逆戻りしてしまうかもしれない恐怖があった。

普通の子に戻れなくなる。
やっとここまで来れたのに。

だれにも言うことはできなかった。
どの人とも続かず、最後には別れてしまった。
2年半付き合った人もいたけど、その人にも打ち明けることはなかった。





22歳のとき県内で就職した。

26歳のとき大学時代の後輩と再会して付き合うことになった。
大学時代からかっこいいなぁと何度もチラチラ見ていた柔道部の彼だった。

再会してから2週間で付き合って、3年たって同棲を始めて、今月で4年記念日を迎える。



付き合って1年たった頃、なぜかわたしは彼にこう言った。
本当にポロッとこう言った。

「ねぇわたし、口臭いっていじめられとってんよ。口臭外来に通ったこともあったし、怪しいサプリメントも飲んどってんよ!おかしいよね!」

「えっそうなん???
おれはゆうの匂い全部すきだよ。
気になったことなかったけど、そんなこと言うのはひどいよね。気にしてしまうよね。

おれたち柔道部も練習したあとの汗の匂いが気になって、シーブリーズめちゃくちゃかけとったよ。
部室に1人1本ずつずらーっと並んどったよ。
みんな気にしとってんろうね。

試合前も緊張するとあぶら汗出てきて、全身が臭いときあるよ。もう獣の匂いみたいでくっせーよ。

それとね、練習中はアクエリアスを飲むんやけど糖分の摂りすぎを防ぐために少し薄めるげん。
でも薄めたアクエリアスを飲んで練習再開すると口の中どんどん渇いていって、ほんっとにくっっさいからね!!
中途半端に残ったアクエリアスの成分でおれも隣のやつもくせーし。笑
みんなくさかったよ。笑
もう俺ら絶対女の子とキスできないと思ったよ。

みんなそんなもんだよ。
でも、辛かったね。

おれは全部が好きだよ」



社会人になって歯列矯正をはじめた。
毎晩寝る前にフロスするようになった。
ガタガタの歯の隙間からたくさん汚れがでてきて驚いた。

少しずつ歯が整ってきて、横を向いていた歯も前を向くようになった。


彼と食事をしたあとや、遠出して長時間歯を磨けないとき、

「ねぇ今わたし口くさいかも!!気になるよ~」
「え?そんなことないよ?
匂いかがせてよ」
「やだよ!無理だよ!!笑」
「じゃあ俺の匂いはどう?
はー(笑いながら息を吹きかける彼)」
「わぁ!!生温かいよ!!!笑」


わたしは、笑いながら息を吹きかけたりはできない。
たぶんそれは、一生できない。


でも、
「よしじゃあ歯みがこっか!」
と言えるようにはなった。
笑いながら言えるようになった。


彼と並んで歯を磨く。
歯列矯正は来年終わる。



頭の隅に中学のときのわたしがいる。
これからもずっといるだろう。

その子の肩をとんとんと叩く。


彼女が振り向く。






#想像していなかった未来

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