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心の居場所、一隅を照らす

くりすたるるさんの紹介で乃井さんのこの記事を拝見した時、私は仕事始めに心がけたことを思い出した。

教室をして、2月で27年になる。初めは好きな事を職業にするのは嫌だった。仕事というのは、生活をする為にお金を稼ぐものであり、好きな事のためにお金を稼ぎたくなかった。好きなことを仕事に持つと嫌いにならないかという懸念があったから、仕事と好きな事を分けたいと思っていた。
だが仕事を選んでいる余裕はなかった。子どもたちを養わなければならない。
そうならせめて、自分の得意とするものを介して、人の役に立てたいと思うに至り、今の書写という仕事についた。

私の教室は幼児から、70代の人まで、多くの世代が来られている。その中で、過去に乃井さんのように心の居場所なんだなと感じることがいくつかあった。
その例を紹介したいと思う。

Yくんの例
Yくんは小学3年生から、毛筆を習いに来ていた。おとなしい繊細な子どもだった。
小学5年生になったある日、懇談をしていたお母さんから、彼は学校に言っていないと聞いた。え?でもうちの教室には来ていますよね?
教室には行きたいと言っているけど、学校は行きたくない、と言うから困っています

無理やり行かせるのもどうかと思うし、周りにいろいろ相談にのってもらっているということだった。

Yくんに聞いてみると、学校の先生に否定的なことを言われたらしい。どんな言葉か言わなかったが、自分に自信がなくなった、と言っていた。毛筆は続けたいから来るよ、と言った。その後登校拒否は数カ月続いた。

ある日、時々保健室に行くが、教室に行く気がしない。でも遠足は行きたい、友だちと会いたいから。しかし遠足だけ行ったら、友だちにどう思われるかわからないから行けない、と言ったので、私は、そんなことないよ、友だちはきっとYくんに会いたがってるから、行ったらいいよ、と背中を押した。

その1週間後、Yくんは嬉しそうに、行ったら友だち喜んでくれて、楽しかったと伝えてくれた。それがきっかけで徐々に学校の教室に戻っていったらしい。彼の心の居場所は友だちだったかも。
お母さんもホッとしただろう。

次はAさんの例。
彼女は小学1年生から、かきかたを習いに来ていた。
はじめは嫌々来ていた。教室でいつも否定的なことを言って、私も少し困ったが、彼女を肯定することを言葉にしながら、励ましていた。

ある日、彼女と同級生の学習者が、Aちゃんは臭いと言って嫌われている、と口にしていた。髪はバサバサだし、お風呂に入ってないかもしれない
と。あーそういうことか、と、事情がわかった私は、彼女が愚痴を言うのを黙って聞いてあげた。

そうこうしてる内に彼女は数年頑張って、かきかたがペンになり、あんなに嫌がっていたのに、大学まで教室に通い、高校では、卒業アルバムに自筆で校歌を書いたものが載ったのだ。これには私も驚いた。どんなに嬉しかっただろう。そして、大学時代のアルバイト先で、履歴書の字を見て採用されたと言っていた。このような事で自信を持ったことは確かだ。乃井さんの言われるような、自分の居場所が見つかったかもしれない。文字がきっかけで居場所が見つかったことで、私もとても嬉しかった

また、その他の大人の方は文字を介して、自分を律したり、時には家族の愚痴を言ったりして、教室に入った時は暗い顔をしていても、帰りは明るい顔で帰っていくのを見て、この方たちの心の居場所は、この教室かも知れないと思うに至った。

これらを経験して次の3つが大切だと思った。

※黙って聞くこと
※その人を肯定すること
※ちょっとした背中押し

そしてそれらの経験が、私にも自覚を促した。
一隅を照らす、そんな存在になりたいと。

今はそんな存在になりたいと強く思わなくなったけど、完全にその中で溶けています。
知らない間に自分の居場所になっていたんですね。

乃井さん、気付きを有難うございます。

長くなりました。
読んでいただき、有難うございました。

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