夏目漱石の『こころ』を読んでみました。高校の教科書以来でしたが、あの時とは違い、面白く感じます。
読んだのは新潮社から2004年に出ている版です。
解説内で気になる箇所がありました。
「人間の心を研究する者」という表現は面白いですね。それは研究者だけでなく、全人類に言える事ではないでしょうか。誰しも自分や他人の心が原因で悩むことはあるでしょう。そんな時悩みの種を考えた時こそ、既に「人間の心を研究する者」になっているのではないでしょうか。
以下本文を引用するのでネタバレあります。
「上 先生と私」から
過去のKへの行いがあるからこそ、自分を軽蔑しているんでしょうね。悲しいですが、その気持ちも分かります。僕は先生のような行いをしたわけではありませんが、似たような感情は、ごくたまに持つこともあります。
死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね、という言葉は僕にも重くのしかかってきました。自作小説内で登場人物を死なせることがありますが、その時の自分へ言われているような気がします。
「どうしても近づかなければならない」と私が感じるのはなぜなんでしょう。先生が寂しく見えたからでしょうか。
奥さんはこの時悲しいんでしょうか。こんな先生の隣にずっといて、よっぽど強い人なんでしょう。先生も余程自分を蔑んでいるんですね。
好きな人と結ばれたという点で、「あるべき」と言ったのでしょう。しかしKの犠牲を伴っているので幸福にはなれません。
時代が見えるセリフですが、やはり奥さんは強い人物ですね。先生やKが惚れるのも納得です。
Kのことを言わずに死んだことに対しての私の台詞。良い表現だな、と。
これも自分に言われているよう。そして「恋は罪悪」というこの物語を象徴するような言葉。
面白い表現。「その人」とはKのことなのでしょうか。
やはり強い奥さん。「私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。」こんなこと言えますかいな。いやむしろ自分に言い聞かせているのかも知れません。
先生が厭世的になった理由に関する箇所。奥さんはなぜ先生がそんな性格になったのかを知りません。しょうがないけど、奥さんが可哀そうだと思ってしまいます。
奥さんはKが自殺した事を知らない様子。
非常に良い表現。「血肉となる」ってことを表現してます。
僕はまだ若いので恥だと感じてしまいます。恥ないために読書をする、というのはわかります。『こころ』を読んだきっかけも知見を広げたい、という動機の下で。
「私」に「父親の遺産がどれくらいか」や「親戚の構成」を聞いたのはこうした理由があるからでしょうか。「金は人を変える」とは良く言うものの実際はどうなのか、僕はまだ感じたことがありません。
先生の人嫌いの過去が明かされます。そして先生もそんな嫌いな裏切り行為をKにやってしまう。だからこそ自分自身も嫌う対象になるのでしょう。
先生は「私」のことを信用したから遺書を渡したのでしょうか。そして奥さんは「たった一人」にはならないのか。
「先生と私」を読み終わり、先生の過去が徐々に明かされていったな、と思います。そしてそれは「私」に心を開いたからで、しかも奥さんにも話していないことを話しています。余程信用しているのでしょう。
そして想像以上に読みやすいです。短い節になっているからコンパクトにまとまっている印象。高校の授業とは違う、自ら読む読書。
「中 両親と私」から
父の親心とそれに気づいた「私」。そして父の病気が子への思いに拍車をかけました。僕ももうすぐ大学を卒業する身だから、この感覚が少し近くにある気分。
先生がなぜ遺書を書いたのか、なぜ自殺したのか、そのきっかけが気になる所。父の様態も気にしないといけないからおちおち手紙を読んでられない「私」。しかしその手紙が遺書だと気付くと急いで電車に乗る「私」。父より先生に思い入れが強いことに気付かされました。
有名な台詞。何かで、『こころ』が元ネタ、と読んだことがあるので、原典を見れて良かったです。
「下 先生と遺書」から
「ミイラのように」というのが面白い表現。「私」のことを忘れるほど、考えられなくなるほど、何かについて考えていた先生。
余程過去にとらわれています。非常に気持ちが分かります。
「私」のことを信頼してのこと。信頼できる相手が見つかってよかったですね。にしてもかなり強い「私」へのメッセージ。
男女の関係に関してはよく言われることだけども、そこにお香と酒を並列させるのは面白いですね。ぜひいつか使ってみたい言葉。そして漱石の時代から恋愛に関しては、今と同じように考えられていたのでしょう。そしてその共通する真理を漱石は見抜いていた。現代の僕らが真理だと思っているのは、先人らが見つけてくれたものかも知れないです。
好きな相手への題度に共感できます。先生も一人の人間なんだな、と思いました。
めっちゃわかります。
超共感。愛は信仰に似ている、というのは何に対する愛にも似ているように思えます。
この言葉に触発されたので、以下から自分語りを始めます。嫌な人は以下の目次から「自分語り終わり」まで飛んでください。
自分語り
僕は「愛は信仰に似ている」と考えています。それが『こころ』にも似た表現があり、一気に親近感が湧きました。
なぜこの考えを抱くようになったのか、それは好きだった人に言われたことがあるから、です(好きな人に言われる前から気付いてはいたのですが、対象である人に言われてから確信になりました)。
好きな人に告白した際、どこが好きなのかを聞かれたので、全部と答えました。そしてなぜ全部が好きなのかを、その考えに至った過程を話しました。どん底まで落ち込んでた際に優しい言葉をかけてもらって救われたこと。それ以降僕の存在意義を確かめられたこと。もう一度この人生をやり直すのだとしても、もう一度出会いたいと思える相手であること。それほど貴方を想っているんだ、と話しました。
するとその人は「宗教みたいだね」と笑いました。僕はもともとそうだと考えていましたが、相手の一言で確信しました。愛は信仰に似ている、と。生死を救ってもらう相手に何かしら大きな感情を抱く。それが「愛」と呼ばれるか「信仰」と呼ばれるかの違いでしょう。
そう考えていたらなんだか『こころ』内でのその台詞は、背景が違う気もしますが、まぁ一緒だと考えて良いでしょう。
なんだかんだで、愛は信仰だと思います。もし好きだった人が宗教を開いていたら僕は真っ先に入信したでしょう。それくらい思いは強いのです。
結局その相手にはフラれましたが、なんやかんや良い思い出になっていると思います(そう思おうともしています)。そしてあれだけ強かった思いはかなり薄れてしまいました。フラれたのだからむしろそうならないと相手の迷惑になりかねないですしね。
自分語り終わり
気を取り直して引用再開です。
奥さんはKと私が御嬢さんを取り合うことになるのを見越していたのではなかろうか。
用事があったとはいえ、Kと御嬢さんが二人きりでいる事に不信感を抱く先生。そして御嬢さんのことも悪く見えてしまう先生。奥さんの言う通りではないでしょうか。
御嬢さんの嫌な所が目に付くのは、Kへの嫉妬か御嬢さんがわざとやっているのか、という話。先生は前者だとも考えています。
僕も前者なのかな、とも思います。先生の気持もわかりますし。御嬢さんへの好意を否定するために悪い点が見えてしまうのではないでしょうか。
この気持ちもわかります。相手の気持ちも重要ですよね。
Kによる御嬢さんへの気持の告白。重たい言葉が口から出てこない様子を表現した良い箇所。そして先生の固まり具合も伝わってくる。先を越された、と思うのは冷静に考えられている証拠。
高校時代、隣の席の子が「ぎり顔」と区切って読んでいたことが記憶に残っています。すごく面白かったので、ここは印象的な箇所です。
Kの恋愛への付き合い方を見る私。恋愛は人の汚い部分も映してしまうよな、と共感してしまう箇所。
この文章は高校時代から気になっていて、この文章を読み直すために『こころ』を読んでいるといっても過言ではないほどです。Kは非常に正直で嘘の付けない人物なのでしょう。
過去に自分が侮蔑してきた恋愛に自分が染まってしまっていることき気付いたK。そして先生は「利己心の発現」から例の言葉をKに向けます。そしてKが何かを決心したであろう面白い場面。
Kの言った覚悟を先生が取り違えてしまった場面。そして先生はKと同じように「覚悟」を決めます。「覚悟」の意味が違うことに読者しかわからない点が面白いです。
先生の弱い心がはっきりと描かれている場面。
このドキドキは非常にわかります。生きた心地がしないような感覚。
奥さんの悪気ない行動が先生やKを苦しめてしまった。Kは覚悟を決めたからなのか、すごく精神が大人だと思いました。
Kが死体になっている様子を見た先生。人生を光に例えるのはこの時期からあったのだな、と感じます。BUMPの『ray』を思い出しました。
ここは記憶になかった箇所です。なぜKはそのようなことを書いたのでしょうか。恐らく恋愛感情を抱いた時点で自身の理想像とはかけ離れてしまったからではないでしょうか。
謝ることが出来た先生。
まさか悲しみが一種の癒しになるなんて。
良い表現ですね。実際その導火線という見方は間違っていなかったように思われます。
先生が一人で墓参りをする理由です。
余程御嬢さんの記憶を汚したくない模様。確かに自分が間に入ってしまった結果……とは考えたくないですね。
「世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです」という表現が面白いです。しかもなんと自分勝手な、とも思います。「人間らしい」先生の様子。
孤独を言うのは人を死へと向かわせるものなのかな、と感じました。
”」”すら悲しく感じます。Kの自殺の真相や先生が厭世的になった理由を知らせないのは、妻への思いやりなのか、自身への自己愛のためなのか。
総じて感想
面白い漢字使いが多かったです。
こんな暗い気持ちになるとは思いませんでした。結末は知っていますが、全てを通して読むと重たさも変わってきます。
愛と宗教のくだりを知る事が出来たので、この本を読んだ甲斐がありました。次は『吾輩は猫である』を読みます。