サンコーヨーセツ
60歳まで公務員でした。定年退職後、再任用で仕事を続けるという生き方もありましたが、好きなきものの世界に飛び込みました。 一人前になるまではと、お稽古に励む日々でした。主に着付けのお仕事をするようになりました。結婚式場の列席の着付け(留袖、振袖、訪問着)、花嫁の前撮りの着付け、こども写真館での着付け、レンタル衣装店で働くほか、教室で着方を教えるようになりました。 そのような生活を4年ほど過ぎたころ、これでいいのか、と疑問を抱くようになりました。それまでお世話になったきもの
きものと眼鏡は相性がいい 眼鏡をかけると賢そうに見えるし 時に愛嬌も表現できる ハレの日のきものは、 どこか気取っていて 近寄りがたい雰囲気を 醸し出すこともある 普段着として、お出かけ着として きものを着るなら 伊達メガネだってありです どこまでもナチュラルで フレンドリーでありたいと思うわけです 私はもともと眼はいい方でしたが ありがちなことに 老眼が早く進みました 老眼になると、それまでより やや世の中が暗くなります なんか暗い、暗いな と思っていたら 見えに
今日は実験的な装いです 9月というのに先週までは 連日の35℃越え 盛夏ですよね? 暑過ぎて、 きもの姿の人をほとんど見なかったこの夏、自分自身着るとしても、 麻のきものやせいぜい浴衣ですね 絹物(薄物)を着る気にはとうていならなかったし、着たとしても、汗びっしょりかいて、そのあとのお手入れのことを考えると、、、むりむりー? じゃあ、薄物はいつ着るのよ、 誰も着てないよー (紗や絽も絶滅危惧種なのか?) ということで、着てみました。 もう9月も終わりなんですけど
9月になりましたが、気温は30℃越え。 友人に誘われて出かけることになり、 少し迷いましたが、麻のきものを着て出かけました。 行き先は京都。阪急電車の京都河原町駅から、東山五条まで歩いて、河井寛次郎記念館へ。 河井寛次郎は大正から昭和にかけて活躍した陶工で、民藝運動の中心的存在。 かつての住居であり、仕事場であった場所が記念館になり、作品や寛次郎の蒐集したものであふれています。 その後、五条坂から、茶碗坂、産寧坂から二寧坂へ、ランチの予約をしたレストランまでテクテク歩い
浴衣の変遷 浴衣(ゆかた)は、もともと素肌に着るものであり、そのま外出するものではなかった。 平安時代、貴族が蒸し風呂に入る際に着用した湯帷子がその原型(サウナウェア) やがて裸で湯船に浸かるようになると、湯上がりに着用するものとなる (バスローブ) さらに、家の中で着るもの、寝間着として定着する(ルームウェア・パジャマ) 病気で入院するときには、ガーゼの浴衣を準備して持って行ったものだ (看護や介護がしやすい) お祭り、盆踊り、花火大会、大人も子どもも浴衣を着た
暑さ指数が25を超える日は、なるべくなら外出しないほうがいい 洋服でも和服でも同じことではあるけれど、とりわけ和服は身体を覆う布の量が多いし、帯を締める分、暑いと言わざるを得ない ですが、真夏のきもの姿ほど美しいものはない 日傘に籠バッグ、透け感のあるきものは見た目に涼やかで、凛として美しい 夏こそきものを着たいのだ!! 本来、7月と8月(盛夏)は紗(しゃ)か、絽(ろ)など透け感のあるきもの(単衣仕立て)を着るが、透けるので、長襦袢は必須である。長襦袢はきものの下に
6月1日と、10月1日に更衣(衣替え)をする。 以前は、学校の制服もこの日を境に冬服から夏服へ。あるいは夏服から冬服に、一斉に着替えたものだった。 今は、その時の気候に合わせて調整している。 きものはもう、個人の自由でいいんじゃない?おしゃれで着るなら、完全に自由でいい。暑さ、寒さに合わせて、調節したらいいと思う。 ところが、茶道や華道など和の習い事などで、きものを着用する場合、そうはいかないかもしれません。 きもの学院で季節の大切さを叩き込まれた私も、なかなか自由
きもののコーディネートについて 難しく考えれば、難しいし、簡単に考えれば、簡単であると言えるでしょう。 洋服だって同じじゃないですか? 着たい時に着たいものを着れば良いわけだから。 ところが、常識ある人ならば、TPOはわきまえますよね。デニムで面接とか、Tシャツで結婚式とか、ないわけですから。 一人の時と、同伴者がある時も違いますよね。気心知れた友人、ちょっとした知人、日頃お世話になっている人、ご一緒する人によっても違うでしょう。 それは、洋服であろうが、和服であろ
帯締めには、裏と表があるのをご存知でしょうか? 写真のような、高台(組紐台の一種)で組まれた二枚もの(二重になっている)の帯締めは、裏と表が違う色になっていて、二色が反転しています。リバーシブルのように思われるかもしれませんが、リバーシブルではなく、表裏は決まっています。 高台で帯締めを組む時、表面を見ながら組んでいます。組み上がりも、表面はふっくら膨らみがありますし、きれいです。(もちろん裏面もチェックしながら組んでいます。) どうしても裏面を使いたいと思うなら、使っ
日本刺繍をはじめて、いろんなタイプのルーペを買った。 自立するルーペ ライトがついたルーペなどなど。 見えないから、繍えない。 繍えないと、悲しい。 それは、ものすごいストレス。 結局、普段かけている眼鏡の上から、ハヅキルーベをかけるのが一番よく見えるということに落ち着いた。 紅会の創設者、齋藤 馨さんの 「手は精神の出口である」という言葉が大好きです。 手がアウトプットならば、目がインプットなんだなーと思うわけで。 美しいものを見て、自分の中に取り込んで、そして
日本刺繍と出会ったのは今から5年前のこと。 阪急百貨店のギャラリーの前で、 紅会大阪教室の作品展のフライヤーを偶然見つけた。 日本刺繍? ホテルグランヴィアなら近いし、 行ってみようかな、、、。 一目見るなり、圧倒された。 すごい、凄すぎる。 一般の方達の作品にしては凄すぎた。 留袖、振袖、訪問着、、、名古屋帯に袋帯、、、。 日本刺繍って、自宅で、自分で、きものや帯を作れるってこと? 家で染織をするのはかなりハードル高いけど、刺繍なら限られたスペースでできるやん
久しぶりにきものを着た。 きもの学院に勤めていたときは、授業をするのに、きものを着る。 辞めてからはなかなか着る機会がないことに気がついた。 そして、いざ着るとなると何を着ていいのかわからない。 きもの学院では、何を着ても良いわけではなく、基本的には学院で購入したきもの。季節にあったコーディネート。そしてマイサイズ(お誂えも学院で。) アパレルの店員さんのように、自社の衣装を着て、生徒さんに素敵だなぁと思っていただく必要がある。 というわけで、わたしは、分不相応な高価
着付師は腱鞘炎になるみたいに思われているかもしれませんが、人それぞれ着付け方や身体の使い方、癖も違うと思うので、使い痛みがどこに出てくるのか一様ではないと思っています。 私の場合、最初に痛くなったのは、左手の親指の付け根でした。 整形外科を受診したのは、おでん屋の仕込みのバイトに行き始めたころ、大根の皮を剥くのに、左手が痛すぎて、大根が持てず、うまくいかなかったことがきっかけで、もし、そうでもなければ、日常生活にそれほど支障もなかったので、あまり自覚もなく着付けをしていた
いつもいつも100点満点の着付けができるとは限らない 気になるところがあると、式場を出た後もずっと気になって安らげない日がある。 衿元、裾、大丈夫かな 「行ってらっしゃいませ」と送り出した後は、もう手を出せない。 親族写真がある場合は、写真のために主に前姿をチェックして、新郎新婦のお母様が帯に差している末広を手に持ってもらう。 その時点でえっ?という時がある。 お孫さんを抱っこしたのでしょうか? 比翼が飛び出てたり、お手洗いに行った時に無意識に引っ張られたのか?変
いわゆる繁忙期。 ズバリそれは3月と11月でしょう。 寒いとき、暑い時はあまり仕事がない。 1年のうちに、着付師が引っ張りだこなのは1月の成人式。ただし、この1日だけ。 3月は、成人式ほどではないにせよ、大勢のお嬢様が卒業式に袴を着る。 しかも、成人式と違って、卒業式は学校や学部によって日時が違う 着付師としては、数をこなせることになります。 11月は七五三です。 お母様やお祖母様もきものを着ます。 こちらは1件のお仕事に人数が重なり、出張着付けになると、出張費も
昭和を生き抜いた人々が着用されたきものを、次の世代に引き継いでいく、そんな時期に来ているのだとおもいます。 昭和期のきものは、業界全体が活気に満ちて、今では考えられないような色や、柄や、発想、技術で作られた秀逸なものが多いのです。 お母様のきもの、お知り合いのきもの。 いただいたものの、さてどうしましょう。 以前、家にあるきものをどうするか、でもいろいろ書きましたが、今回は一歩進めて、着る前提でどうするか?というお話です。 きものを受け継いだものの、悩むところはだい