ある看護師さんのひとこと
もうずいぶん前のこと。
母が体調を壊し、近所の内科医院に入院した。
和菓子屋の嫁で、
店のこと、舅小姑の世話、子どもの世話など
年中無休で働き続けた母。
誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで働いていた。
そのころは和菓子の注文が特に多かった時期で
無理をしたのだろう、しばらくゆっくり静養すれば回復するだろうと
私も含めて、家族みんな軽く考えていた。
近所の内科の医師は
原因が分からないが、食欲がない母に抗生物質の点滴を続けた。
点滴をすると、たちまち元気を取り戻し、
いつものように話ができたが、翌日になると
ぐったりして寝込んでいた。
しばらくして、実家から少し離れた総合病院に転院し、
詳しく検査することになった。
微熱と咳。特に咳がずっと止まらず、
痰がからんで、一日中ティッシュの箱を抱えて
痰をティッシュの中に吐き出していた。
面会に行くと、ベッドの周りには捨てられたティッシュだらけだった。
きれい好きだった母が、いちいちゴミを捨てられなくなったくらい
症状はひどかった。
ある日、私が面会に行き、病室に入ると
散らばったティッシュの紙を見て、
看護師が「こんなにちらかして!!」と
ぷんぷん怒りながら、ごみを拾っていた。
母は、咳き込みながら
「すみません。」と申し訳なさそうに言っていた。
私も涙をこらえながら、すみません、とつぶやいたのを
覚えている。
あんなにしっかりしていた母が、
そんな風になるほど弱っていたことが衝撃で
看護師さんへの憤りより
これから母はどうなるのだろうと恐怖で仕方なかった。
総合病院に転院して1カ月ほどで
父は病院に急に呼ばれ、
ようやく末期の腎臓がんであることを告げられた。
手術しても治るかどうか、
手術するなら、大きな大学病院に転院してください、
という話だったと思う。
すぐに自宅から車で1時間ほどかかる大きな大学病院に母は転院した。
大学病院の中は様々な最新の設備に囲まれていた。
母は、2人部屋に入り、同室の女性は
母と同じような病状を抱えていた。
「咳が止まらなくて、うるさくしたらごめんなさい。」
と母が言うと、にっこり笑って「お互い様ですよ」と言ってくれた。
学校が休みのある日、朝早くから面会に行くと、
母のベッドの周りはまたティッシュの紙だらけだった。
また、怒られる、と慌てて拾おうと思ったとき
一人の若い看護師さんが入ってきた。
そして、床にちらばったティッシュの紙くずを見て
「うわあ。きれい!お花畑みたい!」
と明るい声で母に向かって言った。
思いがけない看護師さんのリアクションは、
母の申し訳なさそうな青白い顔を
すぐに笑顔にした。
私は涙をこらえながら、
この病院にまかせたい、ここで母をしっかり診てもらいたい
と心から思った。
母は、その後、手術をして半年後に亡くなった。
亡くなったとき、棺から離れなかった私を
婦長さんも担当医の先生もずっと気遣ってくれた。
半年間、本当に親身になって母を診てもらえた。
でも、今でも私が強く覚えているのは
あの若い看護師さんの無邪気な笑顔と「お花畑みたい」
といった一言だ。
あのときの看護師さんの名前も知らないが、
あの一言がどれだけ嬉しく、どれだけ救われたか分からない。
病気を治す、看病をする、という本来の仕事以上に
大事なことを教えてもらったような気がしている。
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