表現に考えを持ち込んでも意味は無い
どうも、読む事はもちろん、
書く事が好きな物書きです。
本が好きであるなら
一度は自分も書いてみたいと思うのは必然です。
何となく自分の頭の中で
描きたい世界観というのは出来上がるはずです。
それは立派な表現者の考え方です。
でもいざ書こうとしても
経験が足りないから書くのは
憚れると考える人もいます。
それはもったいない!
一つ言うなら誰一人であっても
経験が成熟している人なんていません。
みんな経験不足です。(笑)
例えば文学を読んでいるからといって
良いものが書けるかはわかりません。
だってまだ書いてもいないのだから。
経験不足を補うには書いてみるしかないのです。
その際に文学を
読んでいるかいないかは関係ありせん。
もちろん本を色々読む事は
知恵という武器になるので大切です。
でもそれは書いてからでも遅くはないのです。
大切なのは自分が先ず
何で感銘を受けたかです。
感銘を受けて影響をもらったから
自分も表現したいと思ったはず。
その気持ちが原動力です。
後は書き続けて、読み続けて、
そしてまた書き続ける。
この繰り返しですね。
小説は無頼の世界。
指針となるのは自分に影響や刺激を
与えてくれる本と自身の想像力です。
それが芸術の世界です。
真っ白なキャンパスに何を描くのかは自由。
だからこそ面白い!
逆にどこから始めるのか
自分で決められないから迷ってしまうでしょう。
でも考えてみて下さい。
冬の日──。一晩掛けて雪が積もり、朝の日差しに照らされる雪原に最初の足跡を残すワクワク感はまさしく自由へのリビドーです。
どこから始めるではないのです。
どこからでも良いのです。
表現というのはつまる所、
考えて始める事ではないのです。
何が湧き出て、進むかなのです。