教育関係のマガジンを作ったわけ
こんばんは、ナシロです。お母さんの就活のお手伝いで、志望動機、自己PRなどの掘り下げをしてました。
なんか、ナチュラルに塾生時代に戻った気がするのと、塾講師時代にタイムスリップしてるみたいな気持ちでした。でも、同時に思ったのが、私、精神疾患持ってる発達障害の人だけども、割と過去のこと覚えてるな、ってこと。
よく志望動機とか自己PRとか書く機会が、塾生時代にあったのですが、そういう時に考えるのは、なんでこの大学じゃないといけないのか、なんでここにこだわるのか、みたいなことなんです。常になぜなぜなぜ?と問いかける。そうして、添削してもらい、更になぜ?を追求するんです。
小論文を書く時も、どうして?なんで?どうしてこう言う考えになったの?理由と具体例がチグハグだとアウトじゃん、となります。
あの時は大学受験でしたが、今は親の就活です。なお、自分の就活の時は、教員になること前提で動いていたので、滑り止めでひとつ受かればいいや!みたいな感じで動いてました。そうして、離職率数十パーセントの塾の最終面接で落とされました。今でも覚えてるぜ!なんで、最終面接の結果を聞くために私が塾に足を運ばないといけないのか、ついでに不合格の理由をね、質問してもいいよ、とか言うからきいたら、自分で考えてください、とか言った人。覚えてるからな。
まぁ、そうしてる間に、わたしってどこにも興味無いなぁと気づきました。教員試験の勉強もサボりがちになったのも、教育実習中に見た先生たちの大変さや苦悩を見たから。時間に追われて、保護者に追われ、私が7時になって作業が終わった時に、職員室を見ると、先生がお弁当を食べながら次の授業の準備をしてたから。こんなブラックなところ絶対に無理。先生に憧れがあった分だけ、表のいい所しか見てなくて、裏側を知ったらダメになりました。
なお、わたしは頭が悪いです。評定平均は4.3まで獲得しましたが、それは学校のテストが出来ました!学校内では優秀です!という資格みたいなもので、ひとたび外に出たら、模試もほとんど解けない味噌っかすでした。ついでに、学校の内申点をあげる方法は全て理解しても、入試に関する普段の勉強の仕方はミリも知らなかったです。なお、これは塾講師になってからも続いていて、事前学習は必須でした。必ず教える前に勉強してましたし、徹夜になってもいいからテストを作り、生徒によっては個別用のプリントを作りました。でも、肝心の宿題をどうやってこなしていくか、根本的な勉強の仕方はわからず、事前学習できてないものはミリも分からなかったです。
そうして、ずっと勉強を教えつつ勉強をして、テストを作って、採点して、論文の添削をして、就活して、とか。もう無理ー!!となりました。帰宅してからの作業量圧倒的に多い。個別指導塾でも多い。だから、学校になったら、もっとあかん!となりました。
そうして、就活に失敗して、うつ病を発症する前まで塾講師を続けていたのです。まぁ、正社員にこだわった結果、私は自殺未遂をしましたけども。希死念慮との出会いも、ブラックな生命保険会社の営業してからでした。こんにちはー!希死念慮さん!みたいなノリ。これからもよろしく!!となってしまいました。
話を戻すと、志望動機とか自己PRって自分との戦いだな、って。他にも結構自分のこと知らないと書けないし、言えないし、みたいなことありますよね。だから、大学3年くらいから、いや、もっと前から企業についてとか、業界についてとか勉強しつつ自分と向き合うんですよね。うん。人と一緒じゃないと無理ー!!というか、今の自分の思考回路になって、ようやっと就活に必要な資料が書けるかもしれないレベル。大学受験は何度も添削してもらったし、都度個別で話を聞いてくれたからなんとかなるけども、就活になると一人でやるから無理なんよ。
さて、そんな経験を経て、現在B型作業所を休んでる私。もうお仕事したくない!常に希死念慮と一緒だし、もう絶対に仕事なんて無理!!とか思ってました。なんなら、医者にも勘弁しろ!!と言ってます。でも、仕事しないという許可はおりない。仕事は発達障害でもできるさ( •̀ω•́ )✧というおじいちゃん。それでも、自信を無くしてた私。
なんか、親の就活の手伝いはじめて、私普通にできるやんとか思ってました。親だから給料出ないし、お菓子貰えたらラッキーくらいのテンションだけども。
それから、YouTubeを見ているうちに得た勉強に関する知識。なるほど、勉強を教えるためには、生徒たちの倍以上勉強して、教えるのは氷山の一角というのは理解してたが、根本的な勉強に関する考え方は理解してなかった。目からウロコです。ついでに、私は勉強を単純に教えるのではなく、勉強全般に悩んでる子のそばにいたいのだと。教育で悩んでる子こ傍にいたいのだと。あとは、生きづらい世の中をどうやって乗り越えるのか、そういうことで悩んでる子の傍でなにかしたいのだと。何となく、それがしたいんだなぁと理解した。
だから、教育に関係するマガジンを作った。多分、私が書くことって頭いい人たちがもろに書いてることだと思う。私みたいな味噌っかすが書く文章はあまり読まれないんだと思ってる。それでも書く。だって、書くしか方法がない。
先生に教育者には戻れないと言われたし、私だってそう思うよ!塾講師じゃないから勉強しなくていいって言われるし、頭に入らないじゃない!て言われてわかる!となってる。苦手な分野はやらない。得意なところを伸ばす。先生そう言ってたじゃん。
でもさ、先生。学校の先生たちは、苦手を克服するようにとにかく言うじゃない。そうして、親御さんも場合によったら出来なかったことに、フォーカスして怒るじゃないですか。子供たちはもっと苦しい!つらい!でも、頑張らないと、成績が良くならないと!と責める子もいるんです。
子供の頃は可能性で溢れてるとは私も思う。大人になったら苦手なところに挑戦するな、というのもわかる。でもさ、子供の頃から苦手なことばかり言われて、得意なところがわからずに辛い思いしてる子いると思う。私は、苦手なことはテキトーにやればいいと思うし、大人になったら完璧にそこから逃げればいいと思う。得意なところを伸ばして、そこで勝ちにいこう!と思う。子供に悪かったところを言うのではなく、よく出来たところにフォーカスして褒めていこうよ、と思うの。
勉強が苦手なヤツが塾講師なんて、とか思われてたと思う。大学名なんて教えるな、とか言われた。生徒たちは大学で判断するから、と。
それでも、私は、いつかは子供たちを支えられるような人になりたいと思うんだ。馬鹿が教えたっていいじゃない。教えるのは勉強じゃなくて、勉強する意味とかでもいいじゃない。苦手な分野はテキトーにやって、得意な分野を伸ばそうよ、と言いたい。
授業は生徒がいるから成り立つもの。生徒がいないと先生なんて存在しないもの。自分だけの力でこいつらを導いてやるぜ!なんてそんなこと思う人にはなりたくない。
子供たちと対話しながら、よりよい生き方を見つけられるようにしたい。それが私の夢かもしれない。
精神障害者が、発達障害者が、とか言われるかもしれない。それでも、マガジン書きながら自己満でもいいから、頑張る。
生きづらい世の中になりましたね、でも、自分が生きやすくなるような世界を少しづつ作りたいですね。
では。