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『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』酷評されつつも、映画館で観る価値あり

ジョーカーの結末を見届ける意味

新宿へ。前々から楽しみにしていた『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を映画館を見に行った。前評判通り、前作と比較すると残酷で激しいスリリングな描写は少ない。悪に目覚めていく主人公に同情したり共感したりして、ぐいぐい煽られていく感覚も乏しい。

しかし、個人的には映画館に見に行って良かった。役者たちの演技がすばらしいうえ、何よりもジョーカーがどのような結末を迎えるのかをこの目で見届けたという達成感が十分に得られる。レディーガガが可愛かった。

「内面のない価値にあこがれる時代」に一石を投じる

「自分ドリブン&他人のことを考えられない大人」が増加している。たとえ悪の道に進んでしまったとしても、周りから注目されて目立ちたい。平凡かつ普通な自分とその暮らしを認めたくない。本作にもそんな大人が多く登場する。彼らは最終的にどんな結末を迎えるのかを突き付けられているような映画だった。

帰宅して前作をネットフリックスで見直してみたが、やはりアーサーの不幸な生い立ちには同情してしまう。仕事の人間関係や抱えている病気、社会的な差別がトリガーになり、正常な精神を保つことができなくなってしまう。さらに、弱者がジョーカーを崇拝しカルト的に信者が増えていくことも現実とかけ離れていない。

けれども、そんな風潮に強烈なNOを突き付け「因果応報」を表現している。前作と同じ方法で観客を煽ることもできたのに、それをあえて避けている点に共感をもてた。「自分ドリブンの時代」もそろそろ終焉を迎えるのではないだろうか、という希望を持てる映画といっても過言ではない。

前作を見たとき「自分の中にも強烈な悪意が潜んでいて、アーサーのようにそれがいつか爆発してしまうのが怖い……」とやや感化された感想を抱いた記憶がある。しかし、その思想は危険だったのではないかと反省をした。ちゃんと結末を見届けられてほっとした。

映画が終わってから「長かった」「退屈だった」と感想をこぼしている人もいた。私もやや眠たくなってしまったので、喫茶ベルクでおいしくてリーズナブルなエスプレッソを飲んで、昭和を感じながら映画を振り返った。それもまた幸せ。




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