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『おりる思想 無駄にしんどい世の中だから』に共鳴。生き方を見直したい人へ

「もうおりたい!」と強く思っていた

『おりる思想 無駄にしんどい世の中だから』(集英社新書)を読んだ。書店で見かけタイトルがどうしても気になり購入に至った。そう、私は「おりたいのに、どうしたらうまくおりれるのか?」と葛藤していたのだ。

20~30代と私は普通の人よりも多く働いていたと思う。出版業界で編集の仕事をしていた関係で、土日祝も会社に行き働くのが当たり前になっていた。さらに「仕事=趣味なんだから、それが幸せ」と思い込むようになっていた。それがカッコイイと信じていた。

しかし、数年前に深刻な病気が見つかり、考えは一変した。「これまでの働き方は大いに間違っていたのではないか?」という疑問にぶつかり、「私にとってのベストな働き方とは?」という難題と向き合うことになった。

「人生百年時代」「VUCAの時代」と煽り煽られる

経済メディアで働いていた時、「人生百年時代」「VUCAの時代」というワードがブームだった。

「人生百年時代。これまでのスキル、ひとつの仕事だけでは、稼いでいけません。アンラーニングが大切です。そして副業もしましょう。お財布は2つあったほうが安心ですから」

「VUCAの時代が到来しました。我々は複雑性が高く変化の激しい時代をサバイブしていく必要があります」

このようなメッセージを積極的に発信するメディアに身を置いていた。世間の不安を煽り私自身も煽られていた。そして、アンラーニングや副業も積極的に行った。まさに、VUCAの時代で生き残るために。

そんなのしんどいに決まってるじゃん‼

けれども、病気を経験し「私は普通の人よりも長生きしないかもしれない」ということを深く実感した。そう思うと、上記のように煽られていることがとても馬鹿馬鹿しくなった。

「もっと自分らしく、残された時間を丁寧に生きたい」と願うようになった。するとこれまで「生き残らなくちゃ」と思っていたことが、大きなストレスだったと気が付いた。そんなのしんどいに決まっているじゃないか。

いまこの息苦しさの裏にあるものは何かと考えてみる。
ひとつは、この社会で無意識的に発せられている「生き残れ」という言葉だ。ぼくはこの30年間日本で格差社会と呼ばれる状況が広がってくる中で、次第に「他人に勝って生き残れ」という呼びかけが広がり、いまかつてない勢いで浸透してきていると感じる。

ビジネスに関連する文脈で「これからの時代は〇〇をしないと生き残れませんよ」などといったフレーズを耳にすることがあるだろう。ぼくの場合、この言葉とそこに含まれる考え方に強い違和感を持っていた。「生き残れ」という一語には、いまの社会で人を競争に駆り立てて、競争そのものを助長する考え方が潜んでいる。

『おりる思想』<P16~17>

強靭で元気な人は、生き残るために必死で戦えばいい。それが幸せだと感じるのであれば、アンラーニングと副業で忙しくすればいい。けれども、そんな生活はきっと長く続かない。病気にならなくても「老いによるハンデ」は万人が等しく向き合わなければならないのだから。

本書では「おりる思想」について以下のように定義している。SNSとの距離の取り方について慎重にならなければならないのと同じように、世間の重圧や風潮との距離の取り方についても慎重にならなければならない

「おりる」とは、社会が提示してくるレールや人生のモデルから身をおろし、自分なりのペースや嗜好を大事にして生きる、という考え方だ。

なんだ、個性尊重みたいな単純な話か、と思うかもしれないが、そう簡単なものではない。この社会で「普通」に生きようとすると個人にふりかかってくる、さまざまな重圧や誘導とうまく距離を取り、時にはそれらをつよくはねのけ、どう自分なりに無理なく生きていくか、微妙なバランス感覚が必要になってくる。

『おりる思想』<P24>

朝井リョウ作品からみる「おりられなさ」

「おりる」を決めたとしても、具体的にどうしたらいいのかわからないのが実際のところだろう。著者は、朝井リョウさんの小説を多数引用しながら、「おりなれなさ」について分析を重ねている。

朝井さんのファンである私は非常に興味深かった。最終的に著者は、以下のように述べており、強く共感を抱いた。

朝井の小説では、主人公たちによって「好き」なものは、社会や周囲の人々から非合理的であるとか、時代遅れなものとか言われて、ある意味で時代の変化から取り残されていく存在として描かれることが多い。しかし、その「好き」は主人公にとって、自分自身非合理的で、時代遅れであると思えても、簡単には縁を切れないものとして描かれる。
ぼくは、人はそうした「好き」という要素の側に立つことで、自分を圧迫してくれる「世界」から自然と「おりる」ことができる、と書いたが、「おりる」ことのカギになっているはずの「好き」の中に、縁を切ることができない、という「おりられなさ」の要素が混じっていることには少し不思議な感じがする。

『おりる思想』<P254>

世界からおりたとしても、自分の好きからはおりる必要はない。なぜなら、縁が切れないのだから。

好きをコツコツ磨こう

私は、社会の重圧や風潮に煽られながら生きることに大きな無理が生じ、単純に心身がついていかなくなった。

だから、この数年間正直どうやって社会とつながったら良いのかわからなくなっていた。体も心もしんどいなかで、今ある時間をどうやって有意義に過ごせばいいのか?日々問うていた。

おりることは、決して負けることでもみじめなことでもない。ちゃんと自分の好きを大切にして、コツコツ磨いていくことなのではないだろうか。そんな良い意味での諦めを手にすることができ、すがすがしい前向きな気持ちになった。

今の日本の働き方や風潮に疑問を感じている人は、ぜひ気軽に手に取って欲しい本だ。前向きになれるヒントがたくさん散りばめられているはずだから。

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