絶やさぬ
社会の中に入った以上、競争からは逃げられないということは常識であり、生きていく中で自然と身につくものである。しかし、闘争心のない穏やかなわたしはみごとに心の隙を食われた。睡眠障害が発病したのである。この症状により業務が一切できなかったため、2ヶ月で会社を首になった。そして今、ニートである。ハロワークに通いながら、日々生きてはいるが親のひもであることに違いはない。むしろ干物になりたいくらいだ。
この長ったらしい、私の体験から競争について考える。まず、私が働いていた会社は人間関係は作りやすい良い会社であった。無論業務は、大変ではあった。私はその会社で営業かに入っていた。この会社の営業はルート営業ではなく、事業所や社長にアポイントなしで行き、新規開拓営業をするものであった。
ある時であった、私が先輩とともにお得意様の事業所に営業に向かっていた時、ある白髪の社会人がその事業所からでた。其方はライバル会社の社員であった。その後、先輩とともに営業にいったが[もう間に合っていると]断られてしまった。先輩はタイミングが悪かったとっしゃられていたが、私はそれだけではないと思った。
この競争に負けた理由として二つの事を考えた。一つ目は先輩がおっしゃったように、タイミングが悪かったという点である。これはルート選択による要因も大きいが、日程による原因もある。
二つ目は情報戦においての敗北である。ライバル会社の社員はいつ、どの時間にどのように周るかを分析していたと思える。先輩に聞くと、今まであったことがないとおっしゃられたが、たまたまぴったり重なり、営業の様子を見ていたということがあったのではないかと思った。このことから、敵を分析し、行動を把握する。情報戦の大切さを知った。
ネットにも情報はあるが、現地の情報は実際に行ってみないとわからないものである。自分の目で見て判断する行動は競争の中でとても重要な事であり、基礎の基礎だと気づいた。
同期の中でも仕事ができる人と出来ない人には確実な違いがあるということに気づいた。同期は営業では、ライバルであり、戦友である。私は当然の如く破れた。このことから学歴は社会に関係のないものだと改めて気づいた。
私はただの石ころである。周りの流水に踊らされることもなく、今は水中に鎮座している。だが、上流の流れが強くなった。暖かい流れが。石ころがどう転がるかそれがいまの課題である。
ただの石ころでも、絶やさず自分を磨きあげることができてない事が、今を苦しめている。些細な事でも磨き上げていこうと思った。
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