自分を壊して、創造する
だんだんと、朝の冷え込みが増してきた。
朝起きたと同時に感じた喉のイガイガを気にしながら
ちらっと時計をみると、もう11月。
窓を開けて息を吐くと、うっすらと白くなっている。
「もうここまできたか。」と思いながら洗面所へ向かった。
そして、こういった季節の変わり目を感じたとき、
なぜか
「去年の今頃は何をしていただろうか」
ということを考えてしまった。
去年の今頃は、
僕は大学2年生で、大学は文化祭なので授業がなかった。
大学へ行くかわりに、どこかで何かをしていたのだろうが
正直、何をやっていたかという記憶はない。
でも、何かしら思い出そうとしたとき、ある考えが浮かんだ。
「昔を思い出す必要ってあるのだろうか?」
なんだか急に哲学チックな話になってしまった。(笑)
「過去を思い出す」ただそれだけなら
問題はないと思うのだが
「去年もあそこで~ことやったから、今年も~ことをやろう」
「去年は~ことやったのに、今年は~ことをやっていない」
といった具合に
今何をするかを考えるとき、過去を参照する必要があるのだろうか?
過去に依存する現在であっていいのだろうか?
といったことを思ってしまったのだ。
現在の自分は、過去の自分の経験から形作られている。
これは間違いない。
ただ、このような自分というのは
本来自分がなりえる自分の、ほんのわずかな一部でしかないと思っている。
つまり、自分の知らない自分がもっともっとたくさんいると思っている。
だからこそ、過去の行動をもとに現在の行動を考えると
その新しい自分に出会うことができなくなるのではないか
と考えてしまった。
僕の好きな言葉に
岡本太郎氏の「自分を壊して、また創造しろ」
というものがある。
僕は、この言葉を
「自分の知らない自分に沢山出会って、新しい自己イメージをどんどんアップデートしていけ」
という風に解釈している。
自分を壊すのにも、創造するのにも
過去を思い出す必要は無いんじゃないか
と思った朝だった。
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