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SFが読みづらすぎる(笑)

先日、気まぐれで本屋に入り

小説コーナーを物色していると

sfコーナーが目に入った。


正直、sfは今まで毛嫌いしていたところがある。

というのも、リアリティが全然なくて、面白くないと思っていたから。


僕はこれまで、いくつも小説を読んできたのだが、

ほとんどに共通するのは、現実社会の中の物語だったということ。


自分が日常生活を送っている感覚のまま読むことができたので、

前提などが大きく変わることはなく、すんなりと読むことが出来ていた。


特に、推理小説が好きで、

西村京太郎や松本清張、東野圭吾などを好んで読んでいた。


という感じで、今までsf小説をほとんど読んでこなかったのだが

その日は、どういうわけか

sfを読んでみたい」という気分だった。


特に何が有名であるといったことも

あまり知らなかったのだが

いくつか、名前だけは聞いたことがあるものがあり

その中から、

表紙のデザインがかっこいいということもあり

ジョージ・オーウェルの「1984年」を選んだ。


そして、早速読み始めたのだが

なんとも読みずらい(笑)


なにより、冒頭で、現実世界にはない場面設定や条件などが

つぎつぎと提示されるから

それらをいちいち確認しながら読んでしまう。

なので、なかなかスラスラとは読み進められない。


今まで、小説を読んできたときには感じなかった

この読み進みの遅さに対するもどかしさを強く感じた。


「まあ、でもせっかく買ったのだから、最後まで読もう」と思い

ページを進めていく中で、一つ思ったことがある。


それは、sf小説と物理学は、ある面で共通点があること。

そしてその面とは、リアリティのない条件・場面の中で、理論を構築(話を進めていく)ということ


いやいや、物理学は身の回りの運動のことについて考えるじゃないか

と思うかもしれない。

たしかに、力学といった分野では、より現実に即した条件で

物体の運動などを考える。


しかし同じ物理学でも、より小さなスケールのもの(電子、粒子など)の運動を考えるときは

sf同様、リアリティがない。


系の状態、ラグランジアン、ハミルトニアン、エネルギー固有値などなど

挙げるときりがないのだが、

どれも名前を聞いただけで大体わかるというようなものではない。

逆に、なんでそんなものを思いついたの? と言いたくなるような

よく分からない場面設定ばかりである。


ただ、よく分からないからといって

なんでもありではなく

それらをもとに、超超論理的に理論が展開されていく
(なんか、知ったような言い方してすいません(笑))


何度か

「sf小説を読むと頭がよくなる」チックな話を聞いたことがあり

正直信じてはいなかったのだが

どんな条件においても、論理的思考ができるようになることに着目すると

ある意味合っているのかもしれない。


今後も

悪戦苦闘しながら

読み進めていこう。

















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