派遣録 86 臨時職員
浜北区役所
臨時職員の話を続ける。
市役所(当時の中区)の他に派遣された場所が数ヶ所ある。
その一つが浜北区役所だ。
仕事の内容は市役所の時と大しては変わらない。
違うのは、ちょうど国勢調査の頃でその調査表のチェックをしたことぐらいか?
大変な仕事ではなかった。
ここの職員は市役所とは違って、優しく、差別的な人間がいなかった。
俺の隣の席の職員さんなどは、非常に明るく、俺などにいつも冗談ばかり話していた。
ミスしたら怒られたりもしたが、それでも見下すような雰囲気は少なかった。
俺の経験した職場の中でもかなり好印象な職場だった。
浜松区役所の税務課!
見習え💢(特に“あの小娘”💢)
そして、これは浜松市役所や年金事務所でもそうだったが、クレーマーがよく来ていた。
おそらく税金を滞納して、督促状なのが届いたのだろう。
「てめえ💢、この野郎!」と怒鳴り込んでくる人がたまにいた。
もちろん俺などが対応できるはずもなく、職員さんが非常に丁寧に対応していた。
何故、人は公共サービスの場になると、あんなに強気になるのか?
家庭や会社であんな態度を取るのか?
おそらく“限られた場所”でしか威張れない哀しい人間なのだろう。
俺の嫌う“小さなグループ内でしか生きられないタイプ”の残念な人間なのだろう。
それはクレーマーだけでなく、こうした公共サービスで働く奴にもいたな💦
“次郎”へ
この頃(2012年の秋頃)から、俺は入院前に時折行っていた居酒屋“次郎🏮”や“六兵衛🏮”、“hokuto🍸️”などに顔をだすようになっていた。
市役所(中区)の臨時職員の頃は仕事帰りに、または浜北区役所の時はわざわざ電車🚃に乗り、日雇いの時はその帰りに立ち寄り、カウンターでテレビを観たりした。
臨時職員の仕事は基本残業が発生しないので、午後5時過ぎには終業して暇だった。スポーツジムでのリハビリに飽きだしていたのかも?
また年金機構への尽きない怒り💢、市役所でのイビり⚡、小馬鹿にストレスが溜まっていたのかもしれない。それをアルコールで溶かしていた?
飲み歩くのが好きになっていった。
次郎の長髪の大将は、数年ぶりに顔を出し始めた俺に気が付かなかっが、そのうちに顔馴染みになった。
口が不自由な俺は、よくスマホのメモ機能を使って注文をしていたが、その大将から「大丈夫だよ。しゃべって注文しな(笑)」と言われ、少しずつ言葉を放つようになった。
カウンターで話しかけられたおじさんに「障害手帳、取らないの?」と言われて大喧嘩したりしたな。
…なので、今では俺の書いている小説によく登場させている。今でもよく行っている。
他にも…。
六兵衛🏮は、年金事務所の頃によく行っていたから。
hokuto(bar🍸️)は、ワンコインで安いから。(ちなみに“慶太郎”はいないよ(笑))
そんな理由で居酒屋を転々としていた。楽しかったな。
俺のルーティーンに『飲み歩き🍺🎶』が加わりつつあった。
(今は、完全に趣味の一つ)
天竜土木事務所
浜松市役所、浜北区役所の他に俺が臨時職員として派遣されたのが、天竜区(当時)にあった土木事務所だ。
ここでの仕事は役所とあまり変わらない。
雑用だ。
それでも覚えていることがあ土木事務所は市内の土木工事(公共)の“発注元”であり、各土木会社、建築会社が工事の受注をもらいたくて、“平身低頭”だった姿をよくみた。
月に一度ほど、公共工事の“発注”の発表があるらしく、市内大小の工事系企業が集まった。皆、受注されたくて必死だった。
俺が雑用で資料を運んでいたら、わざわざ手伝ってくれたり、物凄く丁寧な対応をしたりした。俺などに…。
その姿に社会の哀しみを見た。
皆、会社では偉そうなのに、“お役所”にはペコペコ。仕事が、契約が、金が欲しくて必死に頑張っていた。
求人誌の営業とクライアントと同じだ。
とにかく逆らえない。ひたすら平身低頭し、“契約”を貰う。“クライアント(土木事務所)様々”である。
そういう“図式”はどこでも変わらない。
そして俺もそうだ。行き場を失くし、僅な給料💴を目当てに臨時職員をしているし、頭に来ることもあった(…特に浜松市役所の時)が、耐えている。お金💴がほしいから。
俺の手伝いをしてくれた工事会社と少しも変わらない。
…いや、今の俺や働いている時の俺と変わらない。嫌味を言われても我慢。耐える耐える。
俺などに丁寧に対応する年配のおじさんの何とも言えない顔が今でも忘れられない。