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30半ばの勤務医が人生を変えることはできるのか?

2024年も終わりを告げようとしている。

今年は10年以上「医師」として働いてきた中でも特別な意味を持つ1年になった。

何が特別だったのか?

もちろんその理由はただ一つ。

「医業以外の収入を目指して行動し、初めて1円稼ぐことができた」からである。

走り抜ける中で、多くのかけがいのない出会いに恵まれた。

超人や独立成功者など、外界からの強烈な刺激に感化された。

そして「書く」という作業の中で一方で未熟な自己の内面と向き合わざるを得なかった。

あまりに遠い両者の距離に絶望しながらも、自身の小さな一歩に興奮を覚えながら前に進んでいく、そんな1年だった。

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僕は、2年前に子供が生まれたことをきっかけにキャリアを大きく変えた。

もともとは循環器内科としてカテーテル治療救急医療に従事していた。

劇的な治療効果でやりがいが満たされる反面、この働き方はいつまで持続可能なのだろうか?という疑問は年々強くなってきた。

24時間365日オンコールの生活では勤務医としてそこそこの年収は稼げても、自由が手に入ることはない。

特に勤務時間が長く、緊急性の高い循環器科では家庭崩壊上等で仕事に全振りの上司たちも多かった。

尊敬できる人は多かったが、「こうなりたい」とは思えなかった。

そして、働いている中で気づいた。

「労働時間が長いこと、仕事に終わりがないこと」

これら自体が問題の本質ではないことに。

その核となる問題は「勤務医の労働には自由がない」ということだった。

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当たり前だが、勤め人には自身の労働に値札をつける権利はない。

医者という専門職を持ってしても、「給料交渉」程度が関の山。

折り合いがつかなければ「どうぞお辞めください」となるのが勤務医の性だ。

現に令和では、一般病院に滑り込んだどこぞの「元教授」なんかが、勤務態度や労働生産性の低さからバサバサと首を切られている。

権威と言えど、資本主義社会におけるビジネスオーナーの前では、圧倒的に弱者なのだ。

さらに言えば、保険診療自体が、国に単価を決められているシステムだ。

経営者も国営フランチャイズとして、価格決定権がないというリスクに曝されている。

元締めの出方次第で、余裕がなくなれば組織の末端から処理されていくことは間違いない。

転職を契機に時間を手にした僕は焦燥感に駆られていた。

「なんとかしなくては。動き出さなくては。」

自身の中で葛藤はみるみる肥大化した。

自分自身を食い尽くしかねないほどの勢いで。

そんな中、希望の光が一つ差し込んだ。

ロールモデルとなる存在が見つかったのだ。

医者でありながらビジネスオーナー。仕事を楽しみ、吟遊詩人の如く自由にどこにでも出没する。

ただ、それはあまりに遠い存在だった。

スペック、実績、背景、どれをとっても自分とは違う。

”目指す対象はあれど、そこに到達できる気がしない”

自身の葛藤は行き場のないモチベーションへと姿を変えただけだった。

そんな中、新たな出会いが自分を変えた。

「どこにでもいる平凡なサラリーマン」でありながら、副業で信じられない額のお金を稼いでいる人がいるというのだ。(本当は平凡ではなかったのだけれど。)

俄然興味が湧いた。

「普通のサラリーマンでも出来るのなら、自分でもできるかもしれない」
「どうせこのままじゃ何にも変わらない」


SNSやネット記事に課金した経験が人生で一度もなかった僕は、狭く暗い当直室で1人、メンバーシップに参加した。

刺激を受けXのアカウントを作りSNSの世界にダイブした。


2024年4月からの発信は全てここから始まっている。

そこから日常は大きく変わった。

プライドも一旦置いておき、ひたすら記事を書いてみては「読んでください!」とポストする。

チャンスがあれば影響力のあるインフルエンサーにも積極的に絡んでみたりもした。

「認知すら取れないゴミ以下の存在」からのスタートは、医業で”学びの刺激”が減ってきた自分には心地の良い負荷だった。

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一度走り出してしまえば、あとは流れに身を任せただけで、良い意味で何一つ予想通りに進まなかった。

突然のバズりをきっかけに多くの人と繋がり、そこからの紹介でまた人と繋がった。

最終的にはSNSを超えたリアルな繋がりにまで昇華した。

まさにクリックモーメントだ。

この経験は僕にとって大きな意味をもたらした。

「お勉強」に囚われた確実な正解を求めるよりも、成功への近道となる手法がある、ということを自分の身をもって経験できた。

また、どこまで行っても人は人との繋がりが最も大切である、ということを一周回って実感きた。

レイヤーを上げるためにも繋がりは必須だし、共同戦線を張るにもコミュニティと触れ合うことはモチベーションを保つ上で非常に強力だった。

もちろんヒトに依存するだけでは何にもならないので、努力し実績や自己開示を表明した上で、というのは大前提だ。

そんなこんなで、走り始めてからはやるべき積み上げとその先の繋がりに奔走するだけで精一杯。

目まぐるしく日常が過ぎ去っていった。

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「医業以外にも収入があったらなぁ」

数年前から漠然と脳内で妄想をしていた自分と今年の自分は間違いなく異なる存在になっている。

稼いだ額で言えば、医者の給料からすれば大したことはない。

ただ、この一年を通して実感した興奮や自身への失望などの感情の揺らぎは大きく己を成長させた。

そしてそれらを経て少しずつ成熟してきたマインドセットも以前とは明確に変化している。

今現在、僕はやるべきことに迷いがない。

諸々のライフイベントや年のせいで少々エンジンが鈍っているのは否めないが、進むべき道は見えている。

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「30半ばの勤務医が人生を変えることはできるのか?」


この命題に対しては、明確にイエスと答えることができる。

僕の人生はすでに大きく変わった。

見た目や暮らしぶりには目に見える変化はまだない。

当たり前だ。

0→1。

絶対値は1しか動いていない。

ただ、0と1では数学的特性に大きな差があるのは言うまでもないだろう。

来年は1→10 そして 1→100を実現する年だ。

目指すべき存在、同じ目標を掲げた同志、理解ある家族。

達成に必要な条件は揃っている。


「0→1と1→10ってどっちが難しいんだろう?」


来年はこの素朴な疑問に自分なりの答えを出してみたい。

胸を躍らせながら迎える年の瀬に幸せを感じつつ、ここにそっと決意を記す次第である。






この1年、僕のnoteをお読みいただきありがとうございました。

応援してくれるみなさんのお陰で続けることができました。

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❤️や拡散、そして購入までいただけた方には本当に感謝しています。

これからも「自分が面白い」と思えるものを書いていきます。

一勤務医がどこまでいけるのか、注目していただければ嬉しく思います。

本年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。


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