毒母が娘に望んでいた女の子らしさ
就職して3年目、二十代にして一生治らない病気にかかった。
再就職支援のプログラムは通院していたクリニックでもあった。
ある日、再就職支援プログラムの中で、「職業興味検査」試験を受けるというのがあった。私は興味津々で受けた。
次のプログラムの時間に結果の返却があった。
私は伝統的に男性がなる職業にばかり興味があった。講師は、「あなたは子供の頃、『男の子だったら良かったのに』と言われませんでしたか?」と訊かれた。答えがノーであったことに講師は驚いた。
毒母は男の子が欲しくなかったらしかった。子供が念願の(?)女の子で嬉しかったのらしいが、大きくなるに連れて、彼女は失望したのらしい。
自分の記憶のない幼い自分の写真は、母の着せ替え人形であった。
小学校にあがったときも、母は私にスカートを履かせたがったが、スカートを履くといじめっ子の女子児童にスカートめくりをされるので履きたくなかった。それが普通なのか異常なのかは分からないが、うちの小学校では、女子が女子のスカートめくりをして、男子は決してスカートめくりをしないのであった。
中学校に進学したら、制服のスカートを履かなくてはならない。違和感たっぷりで制服のスカートを履いて通学していた。
高校は本当は工業高校に行きたかったのだが、色々あり、私服の普通科高校に通うことになった。私服であることだけを喜びとして、ジーパンで毎日通学していた。お金がないのでジーパンで毎日通学していたが、本当は母は私にもっとかわいい格好をして欲しかったようだ。
服装だけでなく、色々男の子っぽい志向を持つ私に母は心底落胆し、「せっかく女の子に産んでやったのに」が口癖となった。私はむしろ男の子として産んでほしかった。
ざっくりいうと、母は娘に着せ替え人形の役割を望んでいたようだ。
人間の子供を産まないで人形だけかわいがっておけば良かったのに、と心底思う。
子供は自分の付属品と思っている毒母である。
子供が自分と別人格であること認められない可哀想な人間なのである。そんな親の元に産まれた自分も不幸であるが、毒母はただただ頭が可哀想な人間なのであると思うことにしている。