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会話できることのありがたみ
先日、家族で帰省した際。
学生時代の友達、育児中の友達…色々関係が変わるよね。最近、利用されそうになるというちょっと嫌な経験もあったし、価値感が全然違う人もいてモヤモヤすることもある…大人になって友達の観方が変わった
という話を母親にすることができた。
母は
「そういうものよ。自分の環境によって利害関係を重視すると友達は変わるもの」
と、あっけらかんとしていた。
母もネズミ講のような商売に利用されそうになったことは何度もあるそう。
まず相手には「絶対に買わない」って言ってるって。「だって絶対に使わないモーン」って。
だけど思い返せば相手がお金に困っていたのかな…と気の毒に思うこともあるそう。
相手に利用されそうになった経験でもカラっとしているのはその間の年月がそうさせているのか?
友達だと思った人に勘違いされていたり蔑ろにされたりお金を巻き上げようとされたり…なんて、私はどうにもモヤっとが晴れないんだが。
母は、そんなことよりも自分の育児や家庭のことの方が大事だったという。
まあ、それはそうだけどね。
時間が経てばまた私も心が変わるのかもしれない。
最終的には
「友達は人生において必要なのか不要なのか」
を尋ねたかったのだが、話の流れで聞きそびれてしまった。また聞けるときがあれば聞こう。
ひとの口から、ひとを通して会話して聞く内容は文字面とは全然違う受け止め方になると実感している。
いなくなってしまったら後からこの人はどう考えていたかなと思う瞬間が来ると思うから、聞けるときに聞くことが大事と思う。