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305 死に対する悲しみは「エゴ」の表れ

 我々が悲しいと思うのは、自分と関係がある人の死です。

 関係のない人の死に対しては無関心です。ですから、「死者を弔っているから、自分はよくできた人だ」と単純に考えることはできません。

 もし本当に「死は悲しいことだ」と思うのなら、一切の生命の死を悲しまなくてはならないはずです。しかし、親しい人の死しか悲しまない我々にとっては、人間以外の生命の死は管轄外で、なんなく殺してしまいます。人間以外は、生命だと思うことさえもないのです。

 ですから、死者に対して悲しむことは、仏教から見れば不善行為です。

 世間では人が死んだら泣くことが優しい行為ですが、仏教では亡くなったら亡くなったまでのことで、そこで悩むのは不善行為になります。「あなたが泣いても、死んだ人には何の役にも立たない」ということは、経典にも書かれています。

 「死の悲しみは個人に対する愛着、執着から起こる」ということを憶えておいてください。

 死に対する悲しみは、「エゴ」の表れです。しかし、本人は逆に感じるのです。涙が止まらない自分には、エゴのひとかけらもないと。しかし、それこそがエゴなのです。

『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p104】

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