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スパイ防止法成立までの道のり (1811文字)

 現在、日本にスパイ防止法が必要だと思いますが、根強い反発感情があるようです。
 私が思うに、この反発感情は①マスゴミが自らの取材活動が制限されることからくる感情的反対(マスゴミさんは、「報道しない自由」があると主張していて国民の知る権利に関心はないと思いますので、単に仕事がしづらくなるのが嫌だという気持ちからくるのでしょう。)、②一般国民のアレルギーによる反対感情(イデオロギーに基づくものは除きます。)、の大きく二つに分類できると思います。

 ①については、国民の知る権利など気にしていないマスゴミの主張ですからどうでもいいと思います。
 私は②の方について検討する必要があると思います。

 ネット上では「スパイ防止は考えるまでもなく必要である。」という意見が多数意見だと思います。

 でも、戦中や戦争終結直後を生きた人たちにとっては、警察権の拡大に恐れを抱く人が多いということは理解できます。

 戦中は特高警察(「とっこうけいさつ」 特別高等警察 日本の秘密警察)、戦争集結直後は闇米の取り締まりなどの記憶が、「警察官が大きな権力を持つとろくなことをしない。」という恐れを生じさせるのは仕方ないと思います(特効警察が社会主義思想に関連した者に対して行った拷問的行為や、闇米を取り締まる警察官に恐れというか敵意を抱くのは当然とおもいます。)。
 映画監督の故黒澤明は、戦中は検閲官に『姿三四郎』が英米的だと言われ、戦後は内務省を引き払って別の場所にいた検閲官に『虎の尾を踏む男達』を酷くけなされたので盾突いたらGHQから上映禁止を喰らったそうです(GHQが『虎の尾を踏む男達』を直接上映禁止にしたのではなく、検閲官がこの映画を上映を許可するかどうかを審査する対象リストに掲載しなかったので、そもそもこの映画はなかったものとして扱われたのでした。)。

 そういう経験を大なり小なりしている人達からすると、「スパイの疑いを掛けられたら、とりあえず警察に連行され拷問の挙げ句、スパイじゃないのにスパイだと自白させられる。」という既視感(デジャブ)からスパイ防止法にアレルギー反応を示すのは無理からぬことです。
 また、戦中は一般国民の間でも「非国民」とか「スパイ」といった言葉が他人をおとしめる手段として多用されていたという嫌な過去もあります。
 この国民的性質がまだなくなっていないことは、新型コロナ禍のときに出没した「自粛警察」と呼ばれる自警団的お節介の散発的出現をみても明らかでしょう(私の知り合いの御老人は、兄弟が少なかったのですが、そのため戦時中にそのご両親は近所の人間から男の子を多く生んでいない(兵隊になる者を作っていない)ということで「非国民」と言われたそうです。)。

 そうはいっても、スパイ防止法は日本が欧米先進国の安全保障体制の中で自国の安全を維持するために必要な法制だと思います。
 私は、「日本国憲法9条があれば日本が戦争に巻き込まれない。」とは考えないので、自衛戦争(自衛の概念を拡張して侵略戦争をするという可能性は否定しませんが。)も集団的自衛権も必要と考えます。
 集団的自衛権には軍事同盟国間での情報共有が必須です。となると、当該軍事同盟国には情報漏洩を防ぐ法制がなければなりません(法治国家では、法律以上に国民の言動を制限する制度はありません。)。そうでないと他の国が軍事的危険に陥る可能性があります。

 私は、現在スパイ防止法に拒否反応を示す人達が自然減(寿命や疾病等による死亡)により圧倒的少数派になるか、国民のほとんどがスパイ防止法の必要を感じるくらいの国家情報の流出の被害(人的被害を含みます。)があったときには、国民の圧倒的多数がスパイ防止法を支持するでしょうから、そのときを待つしかないだろうと思います。

 本当なら、スパイ防止法に拒否反応を示すくらいの年配者ならゾルゲ事件を記憶しているでしょうから、私からすると「ゾルゲ事件を知っているはずなのになぜスパイ防止法に反対なの?」と思いますが、感情問題は論理では解決しないのでどうしようもありません。

 本当をいうと私は、スパイ防止法は必要なんだから、とっとと多数決で決めちゃえばいいのに、と思っています。
 なお私は、国会における多数決による決議を「強行採決」と言うのは左翼とマスゴミによるレッテル貼りだと思っています。

#スパイ防止法 #ゾルゲ事件 #検閲官

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