小説『ナイルに死す』を語る

 『ナイルに死す』(アガサ・クリスティー著 黒原敏行訳 ハヤカワ文庫)は、映画も公開された超有名なミステリですから、ご存知の方もおおいでしょう。有名小説が映画化された場合、映画を見てから原作小説を読むパターンと原作小説を読んでから映画を見るという人に大きく分けることができると思いますが、私は映画を見てから原作小説を読みました。私の見た映画は、20世紀に公開されたものでテレビの字幕放送で診ました。ですから、ポアロ役の俳優は大柄で小説のポアロとは異なります。テレビにしても映画にしてもポアロ役の俳優が大柄でも小柄でも、その俳優が原作のポアロ像を壊しさえしなければ私は気にしません。クリスティにしてみたら、主人公ポアロの造形は考え抜いたものだと思いますから、できれば小柄でお洒落で神経質な方がいいのでしょうが、映画の聴衆でありテレビの視聴者であるに過ぎない私は制作者の判断を尊重します。
 ところで、この物語では私はジャッキー(ジャックリーヌ・ド・ベルフォール)に極めて同情的です。「友人に恋人をとられ、結婚されてしまうという空虚さを味わうと精神が正常ではいられないよね。親しい人が信頼を裏切ったんだから余計つらいよね。」って思いました。

 なお、映画の方では、4連発の小型拳銃が凶器になっていましたが、あの拳銃を他の映画やテレビなどで見たことがありません。西洋で小型拳銃といえばデリンジャーだと思うのですが、あれってデリンジャーなのでしょうか。私の知るデリンジャーは45口径で上下に銃身が配置されている二連発銃ですが。

 ところで、この事件の真犯人の計画では、一体誰を犯人に仕立てるつもりだったのでしょう。それとも、犯人不詳のまま迷宮入りを目論んでいたのでしょうか。
 私としては、この事件、迷宮入りの方がよかったように思います。

以上

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