生徒:「そんなの封建的だ。」 先生:「君、封建的の意味分かってないよ。」 (1445文字)
私が中学1年生だった頃、全校集会で頭髪の長さの限界をどのくらいにすべきか話し合いました。
今から考えると、「そこに時間とエネルギーを使うかね。」と思われるでしょうが、当時はかなりホットな話題でした。
男女ともに生徒の主張は「長髪を認めてほしい。」であり、教職員の主張は「前髪は眉毛にかからないくらい。横は耳にかからないくらい。襟足は学生服のカラーにかからないくらい。」というものでした。
全校集会は体育館で行われ、生徒は体育館の床に座ったままで、発言する生徒と教職員との討論を聞いていました。
討論開始から2時間もすると、生徒は「もうどうでもいいや。」と思いはじめているのか、討論にまったく関心を示さなくなりました。
そんな中、2年生の生徒が発言したことについて、ある教職員が強く否定しました。すると、発言した生徒は「それは封建的な考え方です。」と言いました。
「封建的」
それは当時の若者が、忌まわしき社会の硬直性を表す言葉としてよく使用していた単語でした。
これに対して社会科を教える教職員は、「君、封建的というか封建制の意味分かっていないよ。もっと調べてから喋りなよ。」と言いました。
たしかに封建的というのは、主従関係になければ成り立たない関係性です。しかし当時の若者が言いたかったのは、「封建時代に主君が臣下に強権的に物事を押し付ける理不尽さと同様だ。」という非難でした。
さきの全校集会で発言した先輩もそういう意味で「封建的」と言ったのだと思いますが、彼は教職員から歴史的知識の不足の指摘と、知識不足を自覚せずに専門用語を使う軽薄さを暗に指摘され、そのまま黙り込むしかありませんでした。
これは、私にとっても衝撃的な出来事で、未だに覚えています。
何が衝撃的だったかというと、長髪にしていいか悪いかというテーマで議論していたはずなのに、言葉の使い方のレベルで発言を制圧されたということです。
もし、授業で生徒が「封建的」という言葉を誤用したとすれば、先生(教職員)はその用法の誤りを正し、封建制の本来の意味を説明し、そのうえで当該生徒が発言しようとした内容を解釈して見せたと思います。
しかし議論の場では、かなり冷淡に突き放しました。完全に門前払いって形です。
結局、髪の長さについては現行通りというのが全校集会の結論となりました。
それでも、長髪にしたい生徒は少なくなくて、特に前髪を伸ばす生徒が多かったと思います。そういう生徒は、先生にハサミで前髪を切られていました。
本来これは暴行になりますが、当時はそんなことより校則違反の方が重大問題扱いされていました。
その後、高校に進学して驚いたことには、そこは髪どころか髭も服装も自由で、先輩たちは映画『イージー・ライダー』で主人公らが立ち寄るヒッピー集団のメンバーと同じような格好をしていました。
長い髪と髭、そして脱色して薄い青色になったベルボトムのジーンズとサファリジャケットの先輩たち。マリファナを吸っていないのが不思議な世界でした。(この高校は進学校だったので、そんなことをする生徒はだれもいませんでした。)
私は、天然パーマなので長髪にすると若い頃の井上陽水さんや泉谷しげるさんみたいな感じになるのと、髭を伸ばすと手入れが面倒だと聞いていたので、長髪にもせず髭も生やさず、普通のジーパンで通学していました。
今でも、世界史の本などで「封建」という文字を見ると、当時を思い出します。
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