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超能力者は、超能力を自分自身に使えるのか? (794文字)
超能力者が活躍する漫画は『バビル2世』(故石森章太郎)『幻魔大戦』(故横山光輝)が思い浮かびます。
両作品とも子供のころにおもしろく読みましたが、大人になって気になる違いがあることに気づきました。
『バビル2世』の主人公は、自分自身を超能力を掛けるの対象にしません。だから、サイコキネシスで自分の身体を飛び上がらせるとか飛翔させるということがありません。この主人公はそのそのずば抜けた運動能力を持っているので自分自身にサイコキネシスを使う必要がないのかもしえれません。
しかし、『幻魔大戦』の主人公は、サイコキネシスで自分自身を飛翔させることができ、マッハ3以上の速度でアメリカまで飛んで行きました。
この二人の超能力者の違いってなんなのでしょう。
私は、「自分の腕で自分を持ち上げることができないのと同様に、超能力も自分には使えない。」と考える方がすっきりします(考え①)。
でも逆に「自分の足を使って歩いたり走ったり飛んだりできるんだから、超能力も自分自身に使えてもいいんじゃないのか。」とも思います(考え②)。
時間があるときいろいろ考えるのですが、仮に主人公の超能力者が高性能なジェット戦闘機で敵ジェット機と格闘戦をするシーンでは、人間の限界を超えるGに耐えられるように主人公の超能力者がサイコキネシスで自分に掛かる遠心力を制御するといった展開の方が面白そうです。
バビル2世のように強靭な体力を持っていて強い遠心力にも堪えることができるというのもいいのですが、それだとサイコキネシスが作用するのは体の細胞レベルなのか分子レベルなのかといった「超能力のメカニズムの調査」という面白そうなテーマに触れることができません。
どっちの設定がより面白いのか。
故石森正太郎さんの漫画『怪人同盟』の計七夫だったらすぐ判断できるんでしょうが。