
漫才と速度 (1298文字)
「若手のお笑いは喋(しゃべ)りが速く、ベテランになるほど間(ま)を取るようになる。」
と聞いたことがあります。
マンザイブームが終息した頃、若手漫才師の速い喋りの漫才を「MANZAI」とローマ字で表記して従前の漫才との差別化を図っていたテレビマンとの会話で、ベテラン漫才師の青空千夜・一夜さんが「若手のうちは漫才のテンポが速いよね。お客様が恐くてね。」と言っていました。
演芸場の舞台の上で漫才をする場合は、そうなんだろうと思います。
でも、MANZAIの時代はテレビが主戦場なので、当時の若手漫才師たちは演芸場より短く厳格な出演時間を強いられ、観客といえば「スタジオ観覧者」と番組スタッフという環境で視聴者にウケる漫才をしなければならなかったわけです。
それに、当時は生活のテンポが速くなっていたので、間を持たせた漫才は社会に受け入れられる余地が少なくなっていました。
でも、師匠と呼ばれるお笑い芸人さんらは「間で笑わす。」という風に「間(ま)」を重視されています。キャリア(career [職業・生涯の]経歴)があるほど、芸の頂点に近づくというものかもしれませんが、空から飛んできて芸の頂点近くに下りて来るという場合もあるように思います。
かなり前ですが、落語の名人伝を描いた漫画で、体も顔も目鼻口も大きな、つまり大男の落語家の話がありました。
その落語家が演芸場で落語をすると、落語通の観客から「クサイ(わざとらしくいやみだ。)。」とけなされ、師匠にも「表情や動きが大袈裟過ぎる。」とたしなめれられていました。
一方、その演芸場で「うまい」と言われている落語家がいて、彼は優男(「やさおとこ」やさがたの男)で、目鼻立ち(「めはなだち」目鼻のさま。顔だち。)の整った人でした。
あるとき、大きな劇場のこけらおとし(新築劇場の初興行)で、二人が出演して落語をすることになりました。
初めに優男の落語家が落語をしたのですが、演芸場ほどにはウケませんでした。
次に、大男の落語家が落語をすると、満場割れんばかりの爆笑でした。
大きな劇場では、演芸場のように近距離から見る観客より中距離や遠距離から見る観客の数が多いので、「クサイ」と言われるくらい大袈裟な方が全員に伝わり、ウケたのでした。
その漫画の終わりに「新しい時代の名人の誕生であった。」という一文が添えてありました。
漫才のテンポも同じなのではないかと思います。
新しい媒体にはそれに合った漫才の形態があり、その形態に合った(合わせた)漫才師が売れていく。
「売れる」というのはそういうものだと思います。
現在は、容姿いじりや身内いじりはご法度。
悪口も、ギリギリ個人攻撃をしないところで躱す(「かわ・す」見をひるがえして避ける。)ことが求められます。
こんな制約の多い中で面白い漫才を追求する。しかも、その多くはネタを自分たちで作っています。
私は現在の売れている若手漫才師たちは、私が子供のころに活躍していた多くの漫才師たちより才能ある人たちが集まっていると思います。
#青空千夜一夜 #ザ・マンザイ #THEMANNZAI #漫才