結局、思想家に頼る (647文字)
アメリカ大統領選挙に関するYouTube動画を見ていると、アメリカの法制度が危機的状況に陥(おちい)りつつあるように感じます。
私は、日本の大学の法学部の学生だったので、法の番人によるあからさまな法の軽視とか法の屈折した適用などが実際にあったという話を聞くと(それが事実かどうか確認できたわけではありません。)、私の中の「法律的考え方」が動揺するのを感じます。
法律を守るべき立場にいる地方検事や州の裁判所の裁判官が、法を蔑ろ(「ないがし・ろ」他人や事物を、あっても、無いかのようい侮[あなど]り軽んずるさま。)にしたという話を聞くと、とても気落ちします。
こんな精神状態ではいかんと思い、考えた末モンテスキューの『法の精神』を読もうと文庫版(上中下の三巻になります。)を買いました。
ホッブス、ロック、モンテスキューなどは思想家として高校の教科書に書かれていましたが、著書を読もうと思ったことなどありません。そもそも思想家って、「どういう仕事なんじゃ?」と思っていました。
しかし、自分の考え方というか考える枠組みの根底にあるものが揺らぐとき、昔の思想家を頼ってしまします。
かれらは、絶対王政とかキリスト教とか経済の発展による市民社会の出現など相互に対立する社会的実在を前に整合性のある理論を搾(しぼ)り出したはずです。
そう思うと、凄く頼りになりそうな気がします。
そういうわけで私の法律的思考方の揺らぎの治癒に『法の精神』の威力ある効果を期待しています。
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