『刑事コロンボ』と『古畑任三郎』 (1694文字)
海外テレビドラマ『刑事コロンボ』(以下「コロンボ」と言います。)と日本のテレビドラマ『古畑任三郎』(以下「古畑」と言います。)とは倒叙形式の刑事ドラマであるという共通点があります。
通常の叙述形式は、「犯罪被害が発見される➡犯罪捜査➡犯行方法の解明、犯人の特定➡犯人確保」という展開ですが、倒叙形式は「犯人が示される➡犯人が犯罪を実行する➡犯罪被害が発見される➡犯罪捜査➡犯行方法の解明、犯人の特定➡犯人確保」という様に犯人が物語の初めに示されるので倒(「とう」さかさまになる。さかさまにする。)叙なのです。
ところでこの倒叙形式は、オースチン・フリーマンというイギリスの作家が作り出したと言われていますので、『コロンボ』も『古畑』もオースチン・フリーマンのリスペクト(respect 尊敬する。)作品と言えます(パクリではありません。)。
『コロンボ』と『古畑』は、物語の展開は似ていますが、設定等で異なる点がいくつかあります。
(1)外見
コロンボの外見を一言でいうと「冴えない」でしょう。しかも視聴者は、コロンボの仕事を見ていくにつれて「コロンボの外見はコロンボによって意図的に作られている」と感じてきて、「はっ!」とします。「きっとみんなそう思って見ているんだろう。」と気づくからです。
一方、古畑の外見は冴えています。古畑自身もイケています。だから、コロンボと異なりその外見で犯人を油断させるという手は使えません。その代わり、古畑はその特異な性格を武器にします。古畑は犯人に妙に下手(したて)に出て丁寧な対応と、「そんなことわかんないのか?」と言いたくなる詰まらない質問で犯人をいらいらさせ、冷静でない状態に追い込んで行きます。古畑が「スタン銃」と言い、相手(犯人)が「スタンガン」と言うと、「ああスタンガンって言うんですね。」と相手(犯人)がスタンガンの知識があることを探り出す。これって犯人はイラッときますね。
(2)相棒
コロンボには基本的に相棒はいません。たまに近しい感じの部下が登場することがありますが互いに補い合うといった関係にはありません。
古畑には今泉慎太郎という部下がいます。
今泉慎太郎は劇中で古畑から「今泉君」と呼ばれているので、ここでも今泉君と言います。
今泉君は、「能力を持っている」というよりも存在自体が、古畑が推理に煮詰まったときに新たな閃きを与える触媒になっています。今泉君の一風変わった言動(言葉や行動)に触発され、古畑が犯人を追い込む方法を思いつくってことが多いです。
反面、古畑のサディスティックな性格のはけ口に利用されることもあり、特に古畑の推理が煮詰まったときのウサ晴らしに使われることがあります。そのせいで今泉君は自律神経失調症を患ったことがあります。しかし、今泉君は誤って古畑を密室に閉じ込めてしまい、あわや古畑が死亡退職しそうになったことがありますから、やられっぱなしってわけでもないですね。
(3)家族や親族
コロンボの発言からは、「うちのカミさん」や「甥っ子」などイタリア人らしい家族の多さが伺えます。特に「うちのカミさん」からは捜査の進展を促すような言動を与えられています。中には「うちのカミさん」が偉大なのか、「うちのカミさん」の言動から犯人逮捕のヒントを見つけだすコロンボの能力が凄いのか判断が付かないことがありますが、とにかくコロンボは私生活が孤独ではなさそうです。
一方、古畑は家族の話をしません。一度他殺に偽装した自殺を図ろうとする同級生が登場しましたが、近しい人が出てきたのはそれだけです。
コロンボは、犯人追求のためには、犯人の著書を短期間に全部読むなど無尽蔵のエネルギーと集中力を発揮します。
古畑は、ああ見えて足首にも動脈注射できる血管があるという知識を持っていますし、推理作家が犯人の回ではその作家の作品を多数読んだと思わせる台詞を言っています。古畑は画面では見せないけど勉強家ではありそうです。
結局、コロンボも古田はも面白いですね。
#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #刑事コロンボ #古畑任三郎