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渡邉恒雄と正力松太郎 (2164文字)
読売新聞社元代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が亡くなってから、YouTube動画で「渡邉恒雄氏がアメリカのスパイだった。」(以下「渡邉恒雄スパイ説」といいます。)というような発言が目立ちます。
渡邉恒雄氏死去の時期は、いわゆる「103万円の壁」の話題が高まっていたので(現在でも「103万円の壁」は国民の重大関心事だと思います。)、渡邉恒雄スパイ説の方の動画の視聴回数はそれほど伸びてはいないようです。
渡邉恒雄氏について触れる動画では、故正力松太郎氏についても触れられていて、そこでは正力松太郎氏もCIAのスパイだったと言われています。
正力松太郎氏は、読売ジャイアンツ(巨人)の初代オーナーとして、戦後の日本のプロ野球の発展に貢献したために「プロ野球の父」と呼ばれるます。だから、ジャイアンツ嫌いの野球ファンらからは悪く言われると思います。
また、正力松太郎氏は日本テレビを創立し、テレビの普及や発展に貢献したために「テレビ放送の父」と呼ばれていますし、原子力発電の推進にも貢献したために「原子力の父」とも呼ばれているので、反オールドメディアの人たちや反原発の人たちからも悪く言われるものと思います。
渡邉恒雄氏には違う意味で悪く言われる要素が多くありました。
最も渡邉恒雄氏の印象を悪くしたのは、2004年7月8日に2リーグ12球団の維持を主張していた当時日本プロ野球選手会会長の古田敦也(ヤクルトスワローズ)による経営者側との会談の提案を拒否し、この件に関するインタビューの中で「無礼な事言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。」と言ったことでしょう。
この発言の背景には、パ・リーグの方から渡邉恒雄氏に次のように頼み込まれたという事情があったとされていますが、それが事実だったのかどうか分かりません。
当時パ・リーグから渡邉恒雄氏に「パ・リーグは観客動員数が少なく、テレビ放送も少ない。一方セ・リーグは巨人戦だと観客も多く入るしテレビ放送もある。日本のプロ野球球団を2球団減らして10球団にしてリーグを一つにまとめれば、全部の球団が巨人と試合をすることができ、経営的に助かるので、この方向で尽力願えないか。」と頼まれたといいます(繰り返しますが、この依頼が本当なのかどうかは分かりません。)。
当時大赤字の球団があったので、渡邉恒雄氏も10球団1リーグ制の方向で動いていたところに、配下のプロ野球選手が口を出して来たことにカッとなった渡邉恒雄氏が「たかが選手が。」と言ったものと思います。
渡邉恒雄氏には、野球のこと以外何もできない連中が「ファンの気持ちとか選手の気持ちとかいった『お気持ち』で経営者と交渉できると思っていること自体が甘い。プロ野球ファンが全部の球団に利益が出るように入場料やグッズ販売にカネを払っているわけではないし、選手も普通のサラリーマンからみたら夢のような年俸を得ているのにこの上『自分たちのやりたいように球団数を維持しろ。』とは出すぎた言い分である。ほとんどのプロ野球選手の給料は親会社が出しているのであって、プロ野球選手が直接稼ぎ出しているわけではない。」という気持ちがあったと推察されます。
正力松太郎氏にしても渡邉恒雄氏にしても、大学野球が大人気でプロ野球が不人気だった時代に、プロ野球人気を盛り上げるためにとても苦労してきたという思いがあったものと想像されます。
1959年6月25日に後楽園球場で行われた巨人・阪神戦の天覧試合(天皇皇后両陛下が史上初めてプロ野球を観戦されました。)のとき、正力松太郎氏は74歳、渡邉恒雄氏は33歳です。正力松太郎氏にとってもそうですが、渡邉恒雄氏にはこのことはひときわ大きな出来事として記憶されているでしょう。
当時、巨人の長嶋茂雄も阪神の村山実も人気選手でしたが、天皇皇后両陛下をお迎えしたことで日本のプロ野球に箔(はく)が付いたことは間違いないと思います。
ところで、日本のプロ野球興行への貢献と、スパイだったのかということとは別の話です。
私も彼らがスパイだったかどうかはっきりしたことは分かりません。
彼らがスパイであることを伺わせるとして「アメリカが公開した資料に・・・とある。」と主張する人がいますが、自国が放ったスパイを後年公表する国が本当にあるとは思えません。
アメリカが資料を公開するときには、アメリカがその資料がもたらす効果を計算していないはずがありません。
そういう計算を知らずに騒ぐと、外国からは「都合のいい現地工作員」と見なされるだけでしょう。
かといって、スパイが誰かということは知りたいところです。
私は、正力松太郎氏も渡邉恒雄氏も、アメリカの対日政策の実現と無関係にいたわけではないと思いますが、少なくても日本を共産化させないようにしたし、日本の経済・報道・文化の面から支援していたと思います。もちろん、自分たちの経済的利益や社会的地位に対して無欲だったわけではないと思いますが、その私欲が外国勢力に利用されることはなかったと思います。
渡邉恒雄さんは、オールドメディアの終焉をみることなくお亡くなりになったので、いい時期に退場されたのかも知れません。