
「しゃしゃり出てくるな!」という哀れな叫び (1811文字)
職場にいる、OBで再雇用された人(だいたい70歳くらい)とアルバイトの中年女性(以下「アルバイト女性」といいます。)との関係性が良くなくてたまに相談を受けます。
相談してくるのはアルバイト女性。
直近の相談内容は、「ここ数年OBから(アルバイト女性に)エクセルで統計表を作るよう依頼がくる。しかし、それは本来業務でないし私の仕事ができなくなるから止めてほしい。エクセルくらい自分で操作できるはずだ。」というもので、いちいち尤もなことでした。
そこで、ある日そのアルバイト女性から相談されたということは伏せて「エクセル操作は難しいですか?」と尋ねたところ、そのOBは怒り出しました。多分、ピンと来るものがあったのでしょう。
いろいろ言われましたが、最期に「お前がしゃしゃり出てくるな!」と叫んで行ってしまいました。
細かく言うと私はそのOBと部署が違います。だから「しゃしゃり出てくる。」という表現は間違ってはいません。
しかし、私の上司が出てくるとそのOBのかおは丸つぶれになるし、アルバイト女性も事情を細かく聞かれるなど煩わしいことになります。
それを含めて私の言うことを「余計だ。無礼だ。」と拒否するのであれば、それ相応の覚悟があるのでしょうから、「人生の晩年に差し掛かっている状態でみんなの前で悔し涙を流させてやるぞ。」と思わないではありません。
そもそも、そのOBは自分がエクセルという表計算ソフトの操作に習熟していないことが問題です。
職場にパソコンが導入されて既に30年以上経っているはずなのに、未だに表計算ソフトを苦手がるというのはどういうことなのかと思いますが、多分部下や後輩やアルバイトの人など他人に依存していたのでしょう。
そのOBはよく「パソコンだけは苦手で・・・。」と言います。でも私は「パソコン以外はできるといいたげな物言いだけど、あんたに何ができるんだよ?」とずっと心の中で思っていました。
この世の中のOBの多くは、「昔は自分だって仕事ができていた。」というかなり補正された記憶を基に生きているのだろうと思います。
プロ野球OBの野球解説、兵庫県知事選後にちょくちょく出てくる県庁OB、「昔の大政治家ってのは、廊下ですれ違っても風圧を感じたもんですよ。」とかいう新聞記者OBなど、そういう蜃気楼(しんきろう)のような懸命に追いかけても決して追いつけない幻のような過去の自分を高みにおいて今の現職を批判するということが多いと思います。
で、そのOBへの説得がうまくいかなかったことをアルバイト女性に告げると、彼女は「ありがとうございます。次からはその時間がないといって断ることにします。それでも頼まれたら、直接部長に言います。」ということでした。
部長がこの件に介入するとなると、そのOBは「再雇用を退職するか、自分でエクセルを操作するようにするか。」という選択を強いられることになるでしょう。
話は変わりますがある日刊新聞紙が、弱年者の投票の質が低いといったことを書いたということでネットで猛批判されています。
今まで「若者よ投票に行こう!」と言っていたのに、酷い言い草です。
上記のOBの例は、「①激情的で理性が行動を司(つかさど)っていない(「司る」は、支配する。統率する。の意)。②若者を犠牲にしてその利益は自分のものとしようとする利己的な性質が強い。」という老人がいることの実例になろると思います(全老人がそうだというわけではありません。)。
これをみると、弱年者の投票行動をとやかく言えないということが解ります。
それに、「投票の質」ってなんなんでしょう。
それってその日刊新聞紙の主筆(「しゅひつ」新聞社・雑誌社などで、記者の首位にあって主要な記事・論説などを担当する者)の「お気持ち」なのでしょう。
社会は、老人の「お気持ち」(主観)を中心に回っているわけではありません。中島みゆきの『世情』という曲では、「頑固者だけが悲しい思いをする」と歌われていますが、この場合は社会の足かせになっています。
足かせが、足の持ち主に向かって「勝手に行くな。」と怒鳴っている姿は滑稽でしかありません。
多分、その日刊新聞紙の主筆さんも上記のOBも、憤死(「ふんし」憤慨して死ぬこと。)して三途の川を渡るってことにろうかと思います。